フーゴ・ヴォルフ(Hugo Wolf, 1860-1903)の名前はクラシック・ファンの間ですら重要視されているわけではないでしょう。彼の重要な作品の殆どは専ら歌曲であり、他の編成の音楽作品はほぼ省みられないのが現状です。ドイツ・リートに取り組む歌手たちにとっては絶対に無視できない作曲家として扱われる一方で、そうではない音楽家たちにはスルーされてしまうことが少なくないと思われます。
歌曲に限っては、その神経質な気質とヴァーグナーに由来する書法によって、かなり複雑な感情表現を巧みに短い音楽の中に込めることを達成しています。意欲をもってオペラやピアノ曲なども書いてはいるものの、細部の表現にこだわりすぎるヴォルフの気質は規模の大きい作品には不向きであった可能性もあるかもしれません。
何はともあれ、作曲家本人が最後は創作活動を続けられないほどの精神障害を伴う梅毒によって精神病院で亡くなってしまったこともあって、再評価には時間がかかりました。今や《メーリケ歌曲集》《アイヒェンドルフ歌曲集》《ゲーテ歌曲集》などは不動の名曲の地位を獲得し、ドイツリート名曲集が編まれる時は必ず数曲が収録されるほどとなりましたが、その創作の全容解明にはまだ遠いというのが現状でしょう。
これから当記事において言及しようとしている作品もヴォルフの本領である歌曲集の一つ、《ミケランジェロの詩による3つの歌曲》であります。本当はこの後にオペラも書いていたのですが、ヴォルフの精神障害によってそれは未完成となり、この歌曲集がヴォルフの完成した最後の作品となりました。ヴォルフがミケランジェロの詩とこの音楽に託したものは何だったのでしょうか。
この《ミケランジェロの詩による3つの歌曲》はバス独唱とピアノのために書かれた歌曲集です。バリトンで歌えないことはないですが、やはりバスの、時に爆発し、時に深淵に沈み、時に温かく包み込む重厚なサウンドの方が望ましいと感じます。
テキストはミケランジェロの原詩を下敷きにして翻訳家ロベルト=トルノウが書いたものです。ミケランジェロの名前を聞いて彫刻家・画家として知られるミケランジェロを想像する方は多いでしょう。ここでのミケランジェロは同名の別人…ではなく、彫刻家・画家として知られるミケランジェロ・ブオナローティその人であります。メインの仕事は確かに彫刻と絵画でしたが、ミケランジェロは詩も書いていました。余談ですが、ショスタコーヴィチ《ミケランジェロの詩による組曲》Op.145、ブリテン《ミケランジェロの7つのソネット》Op.22といった現代寄りの作曲家たちの作品もありますし、またミケランジェロと同時代(盛期ルネサンス)の作曲家たちもミケランジェロの詩に付曲しているようです。
ヴォルフが選んだ詩は、争いと苦難の多いヴォルフの境遇が託されているかのようなものでした。
第1曲「私はよく思い出す」
半音階を含むユニゾンによる伴奏に導かれて、語り手は過去の自身のことを回想します。世間に認められず、毎日が虚しく過ぎていったことが、不安定なメロディによって歌われます。「私は考えたものだ いっそ歌って生きて行こうかと」と歌うところからテンションは高まってゆき、遂には短調が長調へと転調することによって現在の自分の状況へとシーンは変わります。ピアノの分厚い和音に乗って、非難と称賛の両方によってではあっても、今や世の誰もが語り手の存在を知っているいうことが高らかに歌われます。
ヴォルフの人生は平穏なものではありませんでした。元来の気難しさによって他人と衝突しやすい性格を持ちながら、ヴァーグナー派とブラームス派の対立のなかに身を投じてゆくことになります。音楽を聴けばあからさまにわかる通り、彼はヴァーグナー派でした。ブラームスが気に入らなかったからヴァーグナーに肩入れしていたという説もあるようですが、初期のピアノ作品にはヴァーグナーの楽劇からのパラフレーズも揃っており、ただの便乗とは考えにくい熱心なヴァーグナー支持者だったのではないかと思います。
ヴォルフは当初は作曲家というよりは辛辣な音楽評論家として名を上げました。作曲もしていたものの、メインは歌曲ではなくむしろ大規模なピアノ曲や室内楽曲、管弦楽曲でした。しかもこれが保守的な音楽家や評論家たちから受け入れられなかったのです。ヴォルフが名声を得るようになったのはやはり歌曲を書くようになってからでした。歌を書いてゆくと決めた時に、ヴォルフの運命は変わったのでしょう。
第2曲「全てのものには終わりがある」
「この世に生まれた全てのものに終わりがある」と諦念を歌う歌です。第1曲が大々的に(あるいは空元気に)終わった後にこのような曲が来るので、急転直下のような印象を受けることになるでしょう。下行音型のメロディでどんどん深淵へと沈んでいきます。
しかし、そのように終わりを迎える自分たちが「確かに人間であった」ということを歌う場面のみ、ピアノの温かみのある和音に支えられて歌うことになります。諦念の中でも、心が豊かであった昔を回想するようなシーンでしょうか。
しかしこの直後、歌とピアノはユニゾンによる下行音型へと戻ってきてしまいます。豊かな厚い和音ではなく、逃れ得ない荒涼とした寂しい死への諦念に引き戻されるのです。
歌が冒頭の語句をもう一度繰り返し、ピアノはだんだんと衰えていくように終わっていきます。最後のピアノの和音は珍しいことに空虚5度を響かせます。第3音が欠落するため、長調とも短調ともつかず、心にぽっかりと空洞ができてしまったような感覚を与えられると思います。
先述の通り、この歌曲集はヴォルフの完成した最後の作品となりました。この後ヴォルフは精神障害によって人生の残りの5年間ほどを何の作品も完成させることができないまま世を去ることになります。未完成のオペラも残っているほどですから、まさかそのまま死ぬことになるとまで予想していたとは個人的にはあまり考えられないのですが、3曲の中でも特に精神的に窮している様子を感じさせる音楽となっています。
第3曲「我が魂は憧れの光を感じているか」
第2曲で諦念の底まで沈んでしまった音楽は、この第3曲において救済に導かれて浮上を始めます。徐々に浮上を始めるピアノの左手の低音にもそれは表れているでしょう。まだ光を諦め切ってはいなかったのです。神が創ったその光が、自分の心に思い出を喚び起こさせるものであることが歌われた先に、"Klang(響き)"という言葉によってピアノから温かい音楽が導き出されます。
この歌は深い底まで沈み込んでしまった魂が、もう一度人間の温かい心を取り戻そうとするための歌であると位置付けても良いと思います。単純に恋の歌と言ってしまうことは簡単ですが、ヴォルフがこの歌を歌曲集の最後に配置したことにも何らかの意図があると考えます。
語り手の求めているもの、語り手を導くものを与えてくれるのは「他人の慈愛」であると詩は言います。多くの人々との衝突を繰り返し、保守的な音楽家や評論家との闘争を繰り広げてきたヴォルフは、一方で温かい人々との交流も求めていたのでしょう。
人生の中では、色々なことによって称賛されることもあれば非難されることもあるでしょう。喜んだり悲しんだりして、安らぎと苦しみの間を揺れ動き続けることにもなるでしょう。しかしそれらの感情によって、寂しい諦念から泥まみれの人間の心に立ち戻ることができるのかもしれません。
「愛する人よ、それはあなたの瞳の所為なのだ」と詩は締め括られますが、そこにヴォルフが付けた音楽は、この歌曲を3曲歌ってきた中でも最も安らぎに満ちたものとなっています。書法的にはピアノが和音で大枠を作り、それに遅れる形で歌が入るように書かれていますが、この書法は歌のパートが最も穏やかな心をもって大切にこれらの言葉を歌えるように考えられたものであると推察します。
これにて、第1曲で闘い、第2曲で諦め、第3曲で温かい心を取り戻す…という筋書きが完成するわけです。ヴォルフ本人の中では連作歌曲としての構成すら考えているのではないかと想像しています。他人の人生最後の作品を「最後に相応しい」などと言うのは非常によろしくないことだと思いますが、しかしヴォルフがこの歌曲集によってこの表現に辿り着けたということは、彼の短い人生がとても人間らしい答えを導き出したということではないかと思うのであります。
現代社会に目を向けますと、そこかしこで戦いも闘いも大小起きています。マウントを取り合い、血塗れの勝利をイキったりもするものです。それを観ている側はすっかり嫌気が差してしまって距離を取ったり諦めに苛まれたりもするでしょう。そのような事例は今なおいくらでも見られますが、しかし温かい安らぎだけはすっかり置き去りになってしまっているのではないかと危惧します。
きっとヴォルフも同じような道を辿ったかもしれません。しかしヴォルフはきちんと温かい安らぎに辿り着けました。僕らは闘争と諦念を超えて温かい安らぎに辿り着くことができるのでしょうか。
2023年6月17日(土)
14:00開場 14:30開演
赤木恭平 & 榎本智史
『深淵なる重低音の世界』
会場:ソフィアザール駒込
入場料:3,000円
ゲスト:川上智子(ソプラノ、解説)
曲目
モーツァルト『魔笛』より
モーツァルト《アダージョ》KV540
ヴォルフ《ミケランジェロの詩による3つの歌曲》
ヴェルディ『トロヴァトーレ』より
カゼッラ《悲しき子守唄》Op.14
ヴェルディ『ドン・カルロ』より
他
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