1918年、オーストリア革命によってオーストリア=ハンガリー帝国は崩壊し、オーストリア第一共和国が成立しました。ハンガリーは分離され、その他の地域も失うとともに生産力・経済力まで大きく削がれてしまったオーストリアでは日々貨幣価値が下落していき、インフレーションへと繋がっていきます。
ところでその同じ年の11月に、西洋音楽史上では注目すべき団体・活動が発足しました。それが、シェーンベルクを中心とした『私的演奏協会(Verein für musikalische Privataufführungen)』です。
遡ること同年の6月。シェーンベルクの生徒の一人で、後に音楽学者となったラッツ(Erwin Ratz, 1898-1973)が、シェーンベルクの《室内交響曲第1番》Op.9 の、作曲者指揮による10回に及ぶ公開リハーサルを提案しました。この公開リハーサルは、作品を細部まで探求する企画として成功を収めたのですが、これこそが『私的演奏協会』設立の発端となりました。
この私的演奏協会が行った演奏会シリーズは、一般的な演奏会とは異なる非常に独特なものでした。その特徴とは…
・当時の新しい音楽を演奏、紹介することを目的とした。
・リハーサルを公開することもあった。
・現代音楽に興味のある人たちが来るように会員制を採用した。
・音楽評論家、報道関係者は出禁。
・野次は禁止だが拍手も禁止。
・大編成のオーケストラのための作品は、オーケストレーションの効果を消去し楽曲構造を強調するために4手~8手のピアノに編曲されて演奏された。
演奏された曲目はシェーンベルク本人の他、門下生のヴェーベルンやベルク、近くにいたツェムリンスキーやハウアーらのものには留まらず、広範囲の作品が取り上げられました。むしろシェーンベルク自身の作品は当初演奏されていなかったほどです。他にはマーラー、ブゾーニ、レーガー、ドビュッシー、ラヴェル、バルトーク、ストラヴィンスキー、スクリャービンらの作品が比較的多いでしょうか。マーラーの《交響曲第6番》のツェムリンスキー編ピアノ連弾版、《交響曲第7番》のカゼッラ編ピアノ連弾版はこの企画の中で作られたものです。
しかしやはりと言うか、資金不足の問題はあったようで、たまには当時の現代音楽ではない作品も演奏されました。有名なものとしては、J.シュトラウス2世のワルツの室内楽編曲が挙げられます。シェーンベルク編の《南国のバラ》《入江のワルツ》、ベルク編の《酒、女、歌》、ヴェーベルン編の《宝石のワルツ》などはこの時のものであり、演奏会後にはこれらの楽譜の競売も行われました。昨今の演奏会のクラウドファンディングのリターン品に楽譜が含まれていることがありますが、確かに演奏会後の楽譜販売というのは今の時代でやっても面白いなと思います。
冒頭に挙げたインフレーションの煽りを受け、私的演奏協会は1921年にはウィーンでの活動停止を余儀無くされます。しかし、ツェムリンスキーによってプラハで『プラハ私的演奏協会』が1924年まで継続され、またこの一連の精神は1922年にザルツブルクで設立された国際現代音楽協会(ISCM)に受け継がれました。
私的演奏協会の功績は、当時における現代音楽を聴衆が受け止められるよう、できるだけ丁寧な配慮の下に演奏を行おうとしたことにあると思います。今現在においてさえも、最新の音楽は「わかりにくい」という印象を持たれて忌避されます。いやそればかりか、クラシック自体がそのように思われている面すらあるかもしれません。
「わかる」という言葉の定義不足はさておき、どうにか演奏家としてはその「わかりにくい」を払拭して聴いていただくべく、色々な工夫を試みるわけであります。俗に言う "敷居を下げる" という話になるでしょうか(僕がこの "敷居" という言葉を的確でないと考えていることは普段書いている通りです)。
その工夫として、親しみやすいポピュラー楽曲や映画音楽をプログラムに組み込んで演奏会の軟化を図ったり、あるいはプログラムノートやMCとして言葉を尽くすことによって受容へと導いたり、動画サイトなどを駆使して演奏や解説に触れる機会を身近に増やしたりを試みてきました。
中でも、演奏家たちが自身のアイデアをあれこれ投入しながら音楽を作っていく様子を見せる練習配信などは、特にコロナ禍以後頻繁に行われるようになり、多くの人たちに刺激を与えているように感じます。限られた時間内に音楽が完成するかどうかは二の次にして、作っていく過程そのものを見ることから得られるものがあると言えるでしょう。
私的演奏協会がやったことはそれと近いことであると言えるかもしれません。どのようなアイデアをもって最新の音楽を演奏し、どのように受け止めたらよいかということを、演奏者と聴衆とが一体となって感じようとするのです。しかも決して「わからないならわからないままでいい」と演奏家が聴衆を突き放すようなやり方ではないことは評価できるでしょう。
私的演奏協会の場合は基本的に当時の現代音楽を演奏するにあたってこのような方法を採用しましたが、そもそもクラシックという音楽自体がほぼ「わからない音楽」になってきている現在においては、現代音楽に限らず、演奏を作っていく過程から何度も聴かせるということをやっても効果が見られると思います。
敷居を下げる…もとい、溝を埋めるための解決策の一つになり得る方式であると考えるところであります。
ところで、6/12の夜に『アンサンブルの作り方』という演奏企画を用意しました。その場でパートを決めて譜読みから始め、その場で合わせをしながら徐々に音楽が出来上がっていく過程を見せる…というコンセプトの企画です。
初挑戦なので控えめに曲目をベートーヴェンにしたのですが、合わせる様子を見せ、音楽の作り込みがわかった上で最後に通して聴いてみるという方式は、擬似的な『私的演奏協会』の位置にあると思い至りました。特に意識したわけでもなかったのですけれども、これは今回の一回で終わらせるのではなく、様々なヴァリエーションを持たせて続けていきたいものです
まだまだ残席もありますので、「こういう企画もアリ」という最初の試みを見届けに来てくだされば幸いです。
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