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執筆者の写真Satoshi Enomoto

【音楽理論】形式を意識する第一歩


 見方は色々とあるのですが、という前置きをしつつ。


 言葉(テクスト)の無い音楽、具体的に限定してしまえば特に楽器のみの音楽に対する聴き方について困惑を覚える人は多いかもしれません。音楽の進行が具象的な言葉で説明されるならば、それを拠り所にして音楽を受け止めるということもできるからです。


 しかし言葉の無い音楽を「聴いたままを感じるんだよ!」などと言ってノーヒントで投げ掛けるのも、受け取る側にとって抽象的な音の構造物とだけしか聴いてもらえないのも、(もちろん楽曲によるとはいえ)味気無いものです。"表現しているかどうか" と "想起されるかどうか" は別の観点でしょう。


 

 さて、音楽における形式という観点は無機的に音楽を組み上げるための枠組として機能するだけのものでない、ということは言ってしまってもよいでしょう。単純に枠組としてももちろん利用できますが、さらに効果的な利用方法もあるのです。


 例えば、とある音楽が穏やかに始まり、途中で活発になり、そして再び冒頭の穏やかなものに戻る…という変化を経るだけでも、その音楽からは何かしらの情緒の移り変わりなどを汲み取ることができると思います。この「どのように変化したか(あるいは変化せずに続いたか)」を受け取ることが聴取のポイントになってくるでしょう。


 どのような助言があれば観賞のガイドになるだろうか…と考えた時に、形式の観点から言うとすれば「異なる音楽が登場したこと」「どこかと同じ音楽が回帰したこと」を聴き取ることが、初歩的で最も捉えやすい、しかし重要な端緒となる方針であると言えるかもしれません。心情の移り変わり、風景の移り変わり、物語の移り変わり…そういったものを託したり汲み取ったりできると思います。


 お勉強的に○○形式がどうの、などという学び方を否定するつもりはありませんが、音楽を聴き、その行き先を一緒に辿っていくという経験を持ち、そこから振り返った瞬間に通った道筋が「形式」として立ち現れるという順を踏んでみていただきたいと思います。「形式」は予定調和の枠組みから、血の通った軌跡になるでしょう。ソナタ形式だの複合三部形式だのという話はその後でよいのかもしれません。


 作る側の人間は、形式によって聴く側の人間にどのような反応が起こるかを考えて作っているはずです。その手法によってまんまと感動させられるということも起こり得るのでして、そこまでくるともはや術の域でありましょう。いずれ作る側になる人間たちは術のトリックを知っておかねばならないので学ぶわけです。やだ、トリックを知っていることによって味わい方が深まるということもまた真であると思います。


 

 音楽は時間の上に発生する芸術です。そこから考えれば、音楽形式とは順序の原理であり、脈絡の術なのでしょう。音が綺麗だとか、旋律が単体で綺麗だとかばかりではなく、その軌跡上に現れるものを意識してみると、音楽はまた少し面白くなるかもしれませんよ。

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