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執筆者の写真Satoshi Enomoto

【雑記】音楽を繋ぐ:コンサートのプログラム構成

 コンサートを企画する時、プログラム(曲目)の “テーマ性” にはかなり強くこだわりがあります。もはや一曲一曲よりも、テーマから先に決めていると言ってもいいかもしれません。決めたテーマに沿って演奏する曲を選ぶことになりますから、どんなに個人的に弾きたい曲があったとしても、テーマに沿わない曲であれば「今回のコンサートでは(アンコールにおいてさえ)弾かない」という判断もしているほどです。


 

 このこだわりを通しているのは、僕が美術展や博物展を好んでいることに起因します。新作を展示する企画展を除けば、それらは基本的に過去のものを展示するものでしょう。それら単品においては「○○という画家が✕✕年にこんな絵を描きました。その内容は~」などということを知ったり感じたりして楽しむことになるわけですが、美術展や博物展の楽しみ方はなにも作品一つ一つを別個に味わうだけではありません。


 そう、美術展や博物展における全体の流れを楽しむという楽しみ方があるのです。しかも、全体の流れを俯瞰して見ることによって、展示一つ一つを別個に見るだけでは見えなかったものが見えてくる場合があるのです。


 例えば。


 一人の画家にスポットを当てた企画展を想像してみましょうか。生涯に渡って描いてきた作品を若い頃のものから順番に並べて、模索期、円熟期、晩年…などのように区画を分けて展示すれば、その人生と作品がどのように移り変わっていったかを俯瞰することができるのです。


 ついでにこの画家が影響を受けた作品も一緒に展示してみましょうか。すると、いつ、どのようにそこから影響を受け、どのように自分の作品に採り入れて消化していったかを観察することもできます。また、その画家を取り巻いていた他の画家との繋がりや、その時代の流行や価値観なども繋がってくるでしょう。


 このような “全体の流れを俯瞰する” という見方によって、作品同士が繋がりをもって感じられるようになるのです。逆に言えば、テーマを決めてから細かい内容を埋めていくという企画の作り方は、個々の作品同士の間における “繋がり” “関連性” を鑑賞者に気付かせる方法であるということです。


 

 コンサートのプログラミングに話を戻しましょう。


 クラシック音楽史上には数多の作品がありますが、その中から曲を選び出して、せいぜい1時間~長くても2時間ほどのプログラムを組むことになります。とりあえず弾きたい曲をドッとピックアップして片っ端から並べたり、または映える曲(音楽として派手であるだけでなく、演奏する見た目が派手な曲というものもある)を寄せ集めたりするのもナシとまでは言いませんが、ここで最初に興味深い “テーマ” を設定しておいて、それを基準に演奏曲目を選ぶと統一感のある選曲ができます。そしてここで設定したテーマがそのまま、演奏する曲目同士に関連をもたせるキーワードになります。

 ちょっと思い付きでいくつか作ってみましょうか。


テーマ『流行歌変奏曲』

 親しみのあるメロディが作曲家たちのアイデアによってどのようにアレンジされていくかを追う。

・モーツァルト《『きらきら星』変奏曲》K.265

・フンメル《『もう飛ぶまいぞ、この蝶々』による幻想曲》Op,124

・ベートーヴェン《創作主題による6つの変奏曲(トルコ行進曲)》Op.76

・ゴットシャルク《ブラジル国歌による勝利の大幻想曲》Op.69

・ジェフスキ《『不屈の民』変奏曲》


テーマ『練習曲対決!』

 同時代に活躍したライバル同士のピアニストたちがそれぞれ書いた練習曲を通して、そのテクニックや音楽性の相違を紐解く。前半はショパンvsリスト、後半はスクリャービンvsラフマニノフ。

・ショパン《練習曲集》Op.10, Op.25より

・リスト《超絶技巧練習曲集》S.139より

・スクリャービン《12の練習曲》Op.8、《8つの練習曲》Op.42より

・ラフマニノフ《練習曲集『音の絵』》Op.33, Op.39より


テーマ『クラシック×ジャズの試み』

 クラシックにジャズの要素を採り入れようと模索した作曲家たちの工夫を追う。

・ガーシュウィン《3つの前奏曲》

・ストラヴィンスキー《ピアノ・ラグ・ミュージック》

・シュルホフ《ジャズ舞踏組曲》

・グルダ《前奏曲とフーガ》

・グルダ《ソナチネ》

・カプースチン《ソナタ第1番》


 …実は他にも思い付いているネタがいくつかあるのですが、それは自分が本当にコンサートでやろうとしているものなのでここには書かないでおきます…(笑)


 この “テーマに沿った統一感のあるプログラム” の利点は企画としての存在感でしょう。わざわざ企画しなければ存在し得ないプログラムというレア度もさることながら、曲目同士が強固に関連性をもち、コンサート全体を聴き通すことに意義が生まれるのです。1曲ごとに音源を買って聴くようなスタイルさえ定着しつつある現代においてコンサートなどという強制コース料理を提供するのであれば、コース料理なりの充実感が必要になるとも思います。


 また、これらの曲同士の関連性に意識が向くことによって、他の音楽についても「音楽同士の繋がり」が気になるようになるかもしれません。音楽というものは他の音楽の影響を受けながら作られてきたものですから、確かに繋がっているわけです。その音楽の繋がりを芋づる式に辿れば、好きな音楽が増えていきますよ。


 

 と、ここまで書きましたが…演奏家にも聴き手にも意識改革の問題が上がるでしょう。


 演奏家視点で僕自身の経験から言えば、どうもこの “プログラムのテーマ性” を気にしないプログラムは案外多いように思います。というのも、やはり音楽学校の定期試験やコンクールといったものの存在が大きいのかもしれません。


 実のところ、「良い評価を貰い易い曲」というものは存在するのです。弾けば「弾けるアピール」ができる曲とでも言いましょうか。点数や評価が付く場においては、この類いの曲を弾いた方が有利なのです。そして何が起きるかというと、曲同士の繋がりを無視してでもそういう曲を弾くことになるのです。そして音大を卒業した時に手にしているレパートリーはそれらの曲ばかりになります。


 確かに音大を卒業した時に映えるレパートリーを持っていることは、演奏活動をしていくにあたっては有利でしょう。しかしそのレパートリー内だけで、好奇心旺盛な聴き手の興味を惹くことができるようなプログラムを組めるでしょうか。そこで今までやってこなかったような、ささやかな曲も弾けるようにしようと思えるなら良いのですが、どうしても人間とは今までやってきたものの中で済ませようとしてしまうものです。しかも今まで練習していた曲の方が、新しく始める曲よりも安心して弾けるだろうという誘惑付きです。


 既に持っているレパートリーは、美術展に喩えるなら常設展のようなものです。その美術館が所有している作品なので、貸し出さない限りはいつでも見られるというものですね。しかし、所有している作品だけで企画展ができるかというとそうもいかないでしょう。企画展をやろうと思ったら、常設展をやるのとはまた異なる思考回路を使わねばならないのです。「自分は “常設展” だけでやっていく!」と割り切るスタンスを否定はしませんが…


 また、この “テーマ性のあるプログラム” を作ることは、そもそも多くの曲を知らないとできません。テーマに合致する曲が自分の知識の範囲内にあるとは限らないのです。したがって演奏者は常に未知の音楽を勉強して多くの曲を探すことを求められます。まあ演奏家をやろうとする人間が勉強する努力を惜しみはしないでしょう…ですよね?


 多くの音楽作品を知り、それらの音楽の間に繋がり…関連性、類似性または対称性、歴史や影響…などを見出だすことができるか。表面に見える演奏技術だけではない、演奏家が音楽に対してもっている知識や哲学、美学を総動員する絶好の機会はここにあるのです。


 

 …という話を以前Twitterで軽く投げかけたことがあるのですが、聴き専と思われる方からの反対意見が入りました。暴言で絡んでくるので結局はブロックしたのですが、その意見を要約すると「演奏家の考えの押し付けなんて聴きたくない!」ということでした。


 なるほど、確かに “テーマ性のあるプログラム” というのは全体の流れにおいてまで演奏家の考えた脈絡が提示されます。曲単体ではなく、曲同士の繋がりまで最初から地図上に示されているのが窮屈だということでしょう。


 しかし実際のところ、申し訳ないのですが、演奏家の考えや価値観はどうしてもその選曲や演奏法に反映されるものです。言ってしまえば、演奏という行為自体が押し付けでありましょう。テーマ性を考えない、ただ弾ける曲を並べましたというプログラムは、決して演奏家が聴き手に自分の考えを押し付けなかったということではなく、「弾ける曲を並べました」を押し付けているにすぎないと思います。何を今更、というわけです。


 コンサートは双方向的なものです。あくまでも演奏家が自らの知識と価値観を反映したプログラムを作り上げて演奏し、鑑賞者がそれを受けて「なるほど」と思ったり、あるいは新たな疑問を抱いたりするのです。そのやり取りを「押し付け」と言って拒絶してしまうのは、コンサートにおける演奏者と鑑賞者の音楽コミュニケーションを否定することになりはしないかと思います。


 演奏者がどのような考えを持ってコンサートを企画し、そのようなプログラムを組んだのかということを想像しながら聴くという、鑑賞者として音楽を受け止める姿勢も重要になってくるでしょう。案外、鑑賞者がそのようなスタンスになってくると、演奏家たちも「とりあえず有名な曲を並べておけば客は満足するだろう!」などと安易なことを実行できなくなって、プログラムが多様化してくれるかもしれませんよ。


 

 今回はコンサートのプログラム構成のお話でした。音楽が “音同士の繋がり” であるならば、コンサートは “音楽作品同士の繋がり” であると言ってもいいでしょう。


 どうしてそれら複数の作品が、一つのコンサートという同じ機会の中で並べて演奏されるのか。そこに確信のある理由が存在する時、音楽作品一つ一つについてだけでなく、コンサートそのものが大きな意味を持つのかもしれません。


 音楽同士の繋がり、考えてみてくださいね。

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