top of page
執筆者の写真Satoshi Enomoto

【雑記】テクノロジーの発展は人間から芸術を奪えはしない


 AIによる自動作曲などが話題に上がって久しく、確かに自動作曲された作品がそれなりのクオリティをもっていたりもするようになってきました。音楽以外の分野でも、AIによる描画で幻想的な絵が出来上がったりするのを見ると、これはこれでなかなか面白いことになっているなと思ったりもします。


 他分野の事情は知らないのですが、音楽では「これじゃあ作曲家の仕事は無くなるんじゃないか?」なんて話も言われたりしました。しかし、自動作曲よりずっと前から自動演奏が存在しますし、またAIではないにしても自動アルゴリズムによる作曲法も実践されてきまして、それでも今なお演奏家も作曲家も職を失ってはいません。個人的にはそれと同じことにすぎないだろうと楽観視しています。


 SFではロボットやAIによって人間の営みや生業が奪われるといったようなストーリーがあったりしまして、現実までそうなるかどうかはさておき、現在そのようなテクノロジー自体は生活に浸透しつつあるでしょう。それを受けて何かしらの危惧の方を覚える人がいることは理解できないわけでもありません。


 ただ、多くの場合それは杞憂ではないかと個人的には考えています。僕はテクノロジーのことについては詳しくありませんが、芸術に関わろうとする人間のことは普段から見ています。その人々が "結果主義" に陥らない限りは、芸術が人間の手から奪われることは起こらないと考えているのであります。


 

 あくまで僕の視点や価値観での話になることはご承知ください。


 僕は演奏や作曲というものを、苦しいだけのものだとは全く思いません。確かに苦労自体はあります。どうにか良い音楽を届けようと思って、試行錯誤の日々を続けることにはなるでしょう。


 それでも、自分がベートーヴェンの音楽に対峙して感じた美しさや魅力を共有したり、自分が好いと思った音の組み合わせを曲へと構築したりすることは、一種の快さでもあります。しかもそれを自分の手で、納得のいく形で演奏して届けられるわけですから、こんなに清々しいことは他にあまり無いのではないかと、僕の目線では思います。


 これは音楽に限ったものではないと思います。文章を書くにしても絵を描くにしても、はたまた他の様々な表現方法を採っても、自分が好いと思うものを自分の手で形にするということがポイントでしょうか。


 「自分がこういうものを作りたい!」という思いや、「自分がこんな演奏をしたい!」という思いがある時、自動作曲や自動演奏に頼ろうという気は起きないものです。自分がやっているという感覚から遠ざかるからです。


 機械に任せれば聴音だって打ち込み演奏だって楽にできてしまうのに、わざわざ人が今なおソルフェージュや音楽理論や演奏を学ぼうとするのは、自分の感覚で音楽を掴みたいから、自分の頭で曲を作りたいから、自分の声で歌いたいから、自分の身体で楽器を演奏したいから…でしょう。つまりは結果物だけではなく、その過程も含めて体験したいわけです。


 

 では逆に人間が機械に屈するのはどのような時であるかを考えますと、僕が想定するのは、人間が機械的な能力で勝負をしようとした時であります。


 最も身近な例が、「ミス無しで演奏できる」ことを、他の要素を投げ捨ててでも優先する競争でしょうか。その目標は、人間がいかに機械の精確さに近付くことができるかという競争にすぎません。行動をプログラミングされる対象が、機械であるか人間であるかの違いでしょう。


 機械にできないことや、人間自身がやることで意義をもつことはいくらでもあるはずです。それらに当てはまらないものを機械の仕事として明け渡すことに、僕は抵抗を感じません。なんなら、きちんと人間側が自身の考えを持って扱うならば、ロボットやAIは利用価値があるものでしょう。


 「機械に人間の仕事が奪われる」などという話を聞く度に、じゃあとっとと奪えるぶんだけ奪ってくれよとさえ思っているくらいなのです。ちなみに、そのことによって僕の仕事は微塵も減らないと思いますし、万が一にも奪われるならば、それはそれで音楽活動できる時間が増えるというものです。


 

 どんなプロでもそのパフォーマンスにはボロが出たりするものです。それがあったとしても「ボロが出ない機械的な演奏の方が良いです」と思わないのは、やはり「この人はこういうふうに音楽をやりたいんだな」ということを感じるのが面白いと思うからでしょう。


 また、テクノロジーの力を借りたとしても、そのパフォーマンスがテクノロジーを主体的に利用しているものであるか、はたまたテクノロジーに呑まれて振り回されているものであるかは、観賞者から見ても結構判別できるものです。その解決方法は、遠ざけるよりも利用方法を学ぶことの方であると考えます。


 「自分で演奏したい、自分で作曲したい、自分で文章を書きたい、自分で絵を描きたい、自分でテクノロジーを扱いたい」そして一方で「人間がそれをやるのを受け止めたい」…そのような意思を持った人たちがいる限り、どれだけテクノロジーが進んだところで芸術活動は潰えないでしょう。


 そして、そのような人たちは数多いと実感している現状、なるようになっていくのではないかというのが僕の考えです。



タグ:

閲覧数:68回0件のコメント

Comments


bottom of page