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【名曲紹介】ホルスト《セント・ポール組曲》:旋法と反復と民謡が織り成す学習用組曲?

  • 執筆者の写真: Satoshi Enomoto
    Satoshi Enomoto
  • 4月8日
  • 読了時間: 6分

更新日:4月9日


 作曲家ホルスト(Gustav Holst, 1874-1934)と言えば、一般に知られている作品は代表作である《惑星》ほぼ一作というのが現状でしょう。ここに、弦楽を嗜む人の場合は《セント・ポール組曲》、吹奏楽を嗜む人の場合は《吹奏楽のための組曲第1番》《同第2番》が続くことになると思われます。ピアノ作品もあるにはあるのですが、こちらの知名度はほぼ無に等しいため、ピアノ奏者にとっては編曲が無い限りは殆ど接点を持たない作曲家でしょう。


 僕自身は今までに編曲ですらホルストの作品を弾いた経験が無いという有り様ではあるのですが、ホルストの作品のいくつかは面白いと思って掻い摘んで聴いております。その中でもここ最近《セント・ポール組曲》が面白く感じられたため、勢いで2台ピアノ編曲版を作りました。スコアを読むと意外なほどシンプルでありつつも、面白い点がいくらか見つかったので、それも含める形で紹介記事を書く次第です。



 

 今や作曲家として知られるホルストですが、生前には音楽教師として名を馳せていました。ホルストが1905年からその最期まで勤めていたハマースミスにあるセント・ポール女学校は今なお続いています。ホルストはこの学校の生徒のために様々な作品を書きましたが、《セント・ポール組曲》は学校がホルストのために作った防音室への返礼として、1912年から1913年にかけて書かれました。改訂を経て出版されたのは1922年のことです。


 組曲は4つの楽章から成り、民謡や旋法への関心や、反復書法の実験などが見られます。ホルスト自身の興味関心を反映していることも確かではあるでしょうが、セント・ポール女学校オーケストラの指導のための教材としての面も兼ねているように感じます。


第1楽章「ジグ」


 イギリスの民族舞踊の一つであるジグを土台とした音楽です。旋法に基づく対照的な2つの主題が登場することについては多くの解説記事が既に言及していますが、もはや少し変形されたソナタ形式と捉えてしまっても構わないのではないかと個人的には考えます。


 提示部第一主題はニ調レ旋法に基づきます。ハ調ド旋法(ハ長調)と調号は同じですが、主題の中心音はニ音でしょう。最初だけ聴くとニ調ラ旋法(ニ短調)に聴こえなくもありませんが、ロ音によってそれは否定されます。



 第一主題の確保が終わると、次はイ調ソ旋法に基づく第二主題が始まります。第一主題の主音がニ音、第二主題の主音がイ音ですので、これを属調と呼ぶと語弊があるものの、類似した関係が成立していると見ることも可能であると思います。



 展開部と見なすことができるセクションも存在します。拡大された第二主題が音を保続する内部で第一主題が蠢きます。



 ト音の保続低音があるので完全にニ調レ旋法には聴こえにくいかもしれませんが、以下の部分を再現部第一主題と捉えることもできるでしょう。



 ソナタ形式として特殊な特に箇所があるとすればこの再現部第一主題から本来の第二主題への推移の中で先に第二主題が拡大された状態で再現してしまうところでしょうか。拡大されているのでノーカンという見方もできそうではありますが。


 再現部第二主題はテンポを上げてハ調ソ旋法で登場します。主調はニ調ではないのかと思うところですが、なんとこの楽章はハ調に終止します。ニ調レ旋法のロ音に臨時記号としての♭が付くとハ調ソ旋法と同じ均になりますので、そこから移行されたのでしょう。




第2楽章「オスティナート」


 殆ど最初から最後まで続く特定パターンの反復に対置する形で音楽が展開する楽章となります。ミニマル・ミュージックの系譜に連なる音楽であるとも言えるかもしれません。



 ハ長調のミレドレミレドレ…が続くので、ここから転調するのは難しいのではないかと思ってしまいそうですが、内部調としてのト均やヘ均などの音組織が挿入されることによって変化を生み出します。下図には書き込みませんでしたが、音組織内でのオスティナートの立ち位置がむしろ周囲の音の均によって左右されるのがお分かりいただけるでしょうか。




第3楽章「間奏曲」


 この楽章は元々は「ダンス」と呼ばれていたようです。落ち着いた歌謡的性格の音楽と活発な舞曲風の音楽が交互に登場するA-B-A-B-Aという形式となっています。


 歌謡的性格の部分の主音はイ音と考えてよいでしょう。冒頭はホ短調ではなくイ調レ旋法と捉えられます。しかし舞曲風の部分に入る前の時点でも旋法が短い区間で揺れ動きますので、一定しているとまでは断言できません。



 舞曲風の部分では伴奏部の反復書法が目立ちます。その一方でメロディは2拍子の拍節に必ずしもピッタリと従うものではなく、メロディ自体が持つリズムの自由さが強調されます。




第4楽章「フィナーレ(ダーガソン)」


 この楽章は《吹奏楽のための組曲第2番》の終楽章の転用であり、調は異なるものの同様の構成となっています。成立としては《吹奏楽のための組曲第2番(初版)》⇒《セント・ポール組曲》⇒《吹奏楽のための組曲第2番(改訂版)》という順序であるようです。



 冒頭に登場するダーガソンの主題8小節が本当に最後まで延々と反復され、その周りの音楽が変化することによって音楽を進めていきます。主題自体はハ長調ですが、例えば他のパートがイ短調の和音を鳴らすことによって主題はそのままにイ短調への転調が行われます。


 この楽章の一番の聴かせ所は、ダーガソン主題と民謡《グリーンスリーヴス》のメロディが並走する部分であると言ってよいでしょう。ダーガソンは6/8拍子、一方のグリーンスリーヴスは3/4拍子で演奏されますので、小節頭1拍目は噛み合うとは言えど、絶妙なポリリズムが聴こえてきます。



 異なる拍子の舞踊と民謡が重なって絶妙に調和し一つの音楽を発生させるという実作例はなかなか見られるものではないと思います。ホルスト自身が何を思ってこのような構造の音楽を書いたのかは想像するしかありませんが、単純に「ダーガソンとグリーンスリーヴスで対位法ができる」という気付きだけから作ったものではなく、ダーガソンの主題に乗って生徒たちが様々な音楽展開を体験できるように意図しているのではないかと、個人的には感じています。


 

 この《セント・ポール組曲》は比較的シンプルな性格の音楽でありながらも、演奏者がその演奏に取り組む過程で様々な音楽の要素を体験できるように意図して作られているように見えます。長調/短調よりも広範囲に及ぶ音組織すなわち旋法、後のミニマル・ミュージックにも連なるであろう反復書法、民族舞踊や民謡の参照、ポリリズムを伴う対位法、さらには旧来の形式の学習等々…


 第1楽章「ジグ」が擬似的なソナタ楽章であったことや、第4楽章「ダーガソン」が延々と主題を提示し続けていることを考えると、この組曲を成す4つの楽章がそれぞれ擬似的に ソナタ ⇒ スケルツォ ⇒ 歌謡楽章 ⇒ ロンド という楽章構成を成すものとして捉えることもできるかもしれません。一見するとスケルツォは第3楽章にありそうなものですが、ベートーヴェンの第九以降はこちらの順序の楽章構成もそれなりに採用されていますね。


 作曲者本人が明言したかどうかは確認していませんし、またそのように言及した解説も確認していませんが、この《セント・ポール組曲》にはホルストなりの様々な学習課題が仕込まれている、教材としても価値のある作品であると僕は捉えました。

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