シェーンベルクは《3つのピアノ曲》Op.11の特に第3曲において、可能な限りの論理的作為をキャンセルすべく、形式を持たない、楽想ごとの激しいコントラストによる音楽構成を試みました。この試みについて、シェーンベルクはブゾーニへの手紙を送っています。
この手紙の中でシェーンベルクは「形式」や「動機労作」などといった観点からの解放を目指した旨のことを述べています。《3つのピアノ曲》Op.11の第1曲と第2曲はむしろ形式や動機労作を強く認識できる音楽ですから、これは第3曲を書いている時に考えていたことなのでしょう。「組み立てずに『表現』する」という言い回しも見られ、音楽における表現主義への確信も芽生えているようです。文章ではそのように書いているものの、実際の音楽を書く時にはどうしても論理や観察による音楽の整理整頓が起こってしまうものではありますが…
さて、その中に気になる言葉がありました。
「私の音楽は短くなければならない!」
シェーンベルクにとって、それまでの音楽は特定の感情を長く引き延ばして聴き手に味わわせるものとして映っていたのでしょう。人間の移り変わる情動を反映するためには、短い楽想が次々と現れては消えて行くような音楽が相応しいと考えていたのかもしれません。
《3つのピアノ曲》Op.11の後、その理念は《5つの管弦楽曲》Op.16などにおいても試みられたようですが、この試みはピアノ作品において極点に到達しました。その作品こそ、極めて短い6曲から成る《6つのピアノ小品》Op.19だったのです。
《6つのピアノ小品》Op.19は1911年の作品です。6曲のうち、第1曲~第5曲まではたった一日のうちに書かれ、第6曲のみがその数ヵ月後に書かれています。第6曲を待たずに「5つのピアノ小品」として発表してしまうこともできたはずですが、その段階では手元での試行錯誤作品に留めようと考えていた可能性もあったのではないかと想像します。何故第6曲の作曲時期だけが離れているのかということについては後述しますね。
前述した通り、この小品集は極めて短い6曲から成ります。どのくらい短いかと言えば、最も楽譜の分量がある第1曲の長さはたったの17小節です。テンポの早い第4曲と第5曲の演奏時間はそれぞれ約30秒です。ページ数は6曲合計で7ページです。短い、あまりに短い…しかし、音楽表現の充実性は全く損なわれないどころか、充分すぎる情報量を備えています。
基本的には楽想の反復を出来る限り避け、音楽は刻々と経過していく心理変化の描写のように聴こえてきます。ただ、第2曲と第6曲については特定の響きが反復されて曲を貫くという形を採っているため、他と比べると少し聴き取りやすいかもしれません。
「各曲間には充分に間隔を設け、すぐに次の曲に行かないように」という作曲者の注意があります。どの曲も余韻の残る音楽ですから、特にこの注意が無かったとしてもすぐに次に行くようなことはあまり考えられないとは思うのですが。
第1曲 Leicht, zart
17小節
全6曲中で最も楽譜が長く、唯一途中で拍子の変化が起こる曲となっています。一つ一つのフレーズが訥々と紡ぎ出され、同じメロディは再び現れません。対位法的にメロディは絡み合っていますが、全ての声部がきちんと立体的に聴こえるように書かれているということもあって、聴き取りにくいということは無いと思います。
この後の音楽にも通じることですが、過ぎ去る音楽を一つ一つ過ぎ去るままに味わうというのがこの類いの音楽の楽しみ方かもしれません。形式らしい形式はありませんので、一々メロディを覚えておく必要はありません。
第2曲 Langsam
9小節
G-Hという長3度の響きが支配的な曲です。例えばここにD音などを積んでしまえば長三和音が出来上がり、G-Durに確定したように聴こえたりもするのでしょうが、周囲のメロディによって様々に聴こえ方が変わる(様々な調に聴こえる)ような書かれ方になっているのかもしれません。この曲は基本的に伸縮しないテンポに基づいて進みますが、6小節目のみ "etwas gedehnt" と指示され、Fis-His-Dis-F-H-D という強烈な和音が響きます。最後は仄かにC-Durの主和音の拡大形のような響きに消えていきます。
第3曲 Sehr langsame
9小節
重厚な和音の響きをもつ曲です。調が明確に確定するわけではないものの、短い区間で見ると微妙に機能和声の香りも残っているように感じられます。右手がfで弾いている間に左手はpだったり、<>のタイミングが声部ごとに異なったりと、ここでも立体的な音響作りの意識がはたらいていますね。
第4曲 Rasch, aber leicht
13小節
ここからテンポの速い曲が続きます。軽妙な複付点のリズムやスタッカートを伴っておどけたようなメロディが登場します。それがテンポを落として消え入るかと思わせた次の瞬間、アクセントとmartellatoを伴って突然メロディが息を吹き返します。「楽想の反復を出来る限り避け」と先述しましたが、この10小節目のmartellatoのメロディは1小節目の複付点のメロディを縮小したものだったりします。
第5曲 Etwas rasch
15小節
タイトルなどに明言はされていませんが、どう聴いてもワルツです。似たリズムの反復もありますし、その反復の方法も動機労作のように聴こえてくるあたり、シェーンベルクの地か手癖がそろそろ露呈してきたのを感じることが出来ます。最後の和音は H-E-Gis-Dis-A-Cis という構成ですが、これはE-Durの Ⅰ の和音と Ⅴ9 の和音を合成した和音と捉えることもできます。
第4曲と第5曲は共にF音から始まりH音に終止するという共通点を持っています。シェーンベルクがこの曲にわざわざ音名象徴を仕込んでいるなどという説は見たことがありませんし、偶然そうなったという可能性すらあるのですが、しかしこのことによって演奏上ではどうしても第4曲と第5曲という二曲間には他の曲とは異なる関係性を感じるものです。「曲間を充分に空ける」という作曲者の注意はあるものの、この二曲間だけは曲間を短めにしても興味深く聴こえるのではないでしょうか。
第6曲 Sehr langsam
9小節
成立時期が唯一異なるこの曲については、楽譜からは知り得ない情報をまず提供しておきましょう。この曲だけは、シェーンベルクを度々支援・鼓舞し続けてきたマーラーが亡くなった後に書かれました。音楽自体も他の5曲とは異なる張り詰めた緊張感と寂寥に満ちたものとなっており、拍子感がまるで捉えられないA-Fis-HとG-C-Fの和音の繰り返しも、追悼の鐘の音のように聴こえてくるかもしれません。Sehr langsamという指示については、個人的には「どれほど長く緊張を持続できるか」と捉えて自分の可能な限界まで遅いテンポで弾くようにこだわっています。
下の画像はシェーンベルクが描いた『グスタフ・マーラーの埋葬』です。
ところで、この《6つのピアノ小品》Op.19と著書『和声学』を完成させたシェーンベルクは、その夏にミュンヘン近郊で画家のカンディンスキーと出会うことになりました。カンディンスキーはこの年の始めにコンサートでシェーンベルクの《弦楽四重奏曲 第2番》Op.10や《3つのピアノ曲》Op.11を聴き、『印象Ⅲ(コンサート)』という絵まで描いてしまったくらいに感激し、前もって手紙を送ってコンタクトを取っていたのでした。そこから始まったシェーンベルクとカンディンスキーの交流は互いの芸術観に影響を与えあっていくことになります。
個人的な話ですが、カンディンスキーの描いた素描をいくつか見た時、僕には真っ先にシェーンベルクの《6つのピアノ小品》のイメージが去来しました。必要最少限の図形やメロディによって雄弁に心理や運動を描いてみせる様が重なったのです。
極小形式への試みは瞬時の強力な表現力を獲得する目的を達成しつつ、構成力を殆ど喪失するという課題を残しました。この後シェーンベルクはテキストを取り込んで《月に憑かれたピエロ》Op.21を書くことになりますが、さらにそれを越えた先には十二音による作曲法による構成力獲得への試行錯誤の道が待っていたのでした。
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