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執筆者の写真Satoshi Enomoto

【名曲紹介】シェーンベルク《3つのピアノ曲》Op.11:表現主義、ロマン派の継承と意識的作意の排除

更新日:10月11日


 シェーンベルク(1874-1951)は、出発点こそ後期ロマン派的作風でしたが、後に機能和声の放棄と十二音音楽の確立を成し遂げ、ユダヤ人としてのアイデンティティから音楽による政治参加にも踏み込んだ、西洋音楽史上でも重要な位置にいる作曲家です。



 音楽的に多くのことを試みた作曲家ではありますが、その作品数は活動期間に比して意外に多くありません。最後の作品である《現代詩篇》が「Op.50c」という作品番号を持っています。ピアノが関わる曲に関しても、他の作曲家たちに比べると少ない方でしょう(…とは言っても、新ウィーン楽派として優秀な門下生であったベルクやヴェーベルンの方がもっと少ない)。


 シェーンベルクのピアノ1台で演奏される曲の中でも、断片などを除いて一応は演奏会のプログラムとして入れられるであろう作品を列挙してみます。


《3つのピアノ曲(1894)》

《4手のための6つのピアノ小品》

《3つのピアノ曲》Op.11

《6つのピアノ小品》Op.19

《5つのピアノ曲》Op.23

《ピアノのための組曲》Op.25

《ピアノ曲》Op.33a

《ピアノ曲》Op.33b


 もちろん《ピアノ協奏曲》などもありますが、ピアノ1台に限ればこのくらいです。


 1894年に書かれた《3つのピアノ曲(1894)》と1896年に書かれた《4手のための6つのピアノ小品》は、共に習作時代の作品です。強いて言うなら《3つのピアノ曲(1894)》の第3曲に大胆な書法が見られますが、それ以外には月並みな部類のロマン派調性音楽と言えるものです。後者《4手のための6つのピアノ小品》は世にある多くの連弾作品に漏れず、家庭で楽しむために書かれたものだそうです。


 したがって、作品番号を持つシェーンベルクのピアノソロ曲の最初のものは、機能和声の放棄を試みた時期に書かれた《3つのピアノ曲》Op.11となります。同名の作品が二つあるために「(1894)」か「Op.11」で区別することもあるのですが、「シェーンベルクの3つのピアノ曲」と言った時には専らOp.11の方でしょう。


 ちなみにその後の作品も、極小様式を模索した短い6曲から成る《6つのピアノ小品》Op.19、音列による動機労作を試行錯誤した末の終曲において初めて十二音技法を使用した《5つのピアノ曲》Op.23、古典組曲の枠組みを借りて、構成曲全曲を同じ音列から導き出した《ピアノのための組曲》Op.25、十二音技法と調性回帰のバランス調整を試み始める、実はそれぞれ別の2曲《ピアノ曲》Op.33aとOp.33b…といった具合に、毎度新たな試みが出てくる面白さが味わえます。




 

 結構な頻度で話題に挙げていますが、シェーンベルクが機能和声を放棄する転換期の作品がいくつかあります。《弦楽四重奏曲第2番》Op.10、《架空庭園の書》Op.15、《3つのピアノ曲》Op.11、《5つの管弦楽曲》Op.16…音楽がどこへ向かっていくのかを味わう上で、いずれもぜひ聴いていただきたい作品ではあるのですが、僕がこの中で演奏に関われる作品は《架空庭園の書》と《3つのピアノ曲》でしょう。せめてそれらだけでも演奏し、多くの人が聴けるような機会を作りたいと思います。


 さて、そんな《3つのピアノ曲》Op.11について個人的に注目したいポイントを書いていきます。新しい音楽の模索を始めていたシェーンベルクですが、ブラームスやヴァーグナーを作曲のモデルとしていたことはこの作品の中でも存続していると考えられます。



第1曲 Mäßige Viertel


 H-Gis-G-A-F-Eという、なんとなくa-mollのようにも捉えられるテーマで始まります。このテーマは、ヴァーグナーの《トリスタンとイゾルデ》の第1幕への前奏曲から導き出されたと言われることがありまして、確かにそのように見えないこともないばかりか、「シェーンベルクならそういうことやりそう」とも考えられます。テーマの他に出てくる動機についても、やはりトリスタンから採っているかもしれません。



 そのように考えると、音楽を構成する一つ一つの声部がロマン的な性格を帯びるようにも感じられるでしょうか。


 しかしこの曲には歌うばかりではないパッセージも含まれています。素早く広い跳躍を重ねた動機には、感情が大きく振れる瞬間が投影されているのではないでしょうか。正直、難易度は見た目の通りに難しいです。



 冒頭には、画期的なピアノ奏法も採用されています。以下の譜例において、右手に特殊な形状の音符が書かれていることがわかると思います。この音符は、音を鳴らさないように鍵盤を押し下げることを意味します。このように右手で鍵盤を押さえたまま左手のパッセージを弾くと、その和音が残響として浮かび上がるようになっているのです。所謂 "ピアノの倍音奏法" です。バルトークが《ミクロコスモス》にこの奏法の曲を書いて載せています。ただ実際には、ピアノの倍音奏法は低音部を押さえて高音部を鳴らす方がより明瞭に綺麗に鳴ります。


 中間部は9度音程の跳躍が目立つ部分ですが、よく聴くと冒頭テーマの変奏であることがわかります。



 歌うようなテーマと音程の広い跳躍パッセージが並列しながら回帰します。この曲は冒頭のテーマがエピソードを挟みながら様々に変奏されることによって構成されていたわけです。フランツ・リストがこのような構成を得意としていたことに思い至った方はいらっしゃったでしょうか。



 限られた素材を駆使して音楽を構成するという方法自体は古典的なものです。そのような書き方を駆使して、それまでに無かった斬新な響きを打ち出しながらも決して混沌的ではない、しかもロマン的情感を湛えた音楽が実現されたのでした。



 また、他方では暗号のように音型を捉えられる可能性も否定できないと思います。『グレの歌』でトーヴェが殺されたことを山鳩が告げる《山鳩の歌》の、まさにそのフレーズから繰り返し出てくる低音の動機が、意図的か偶然か《3つのピアノ曲》にエコーしています。



第2曲 Mäßige Achtel (Sehr Langsam)


 おそらく、3曲の中で最も保守的な書法によって書かれ、また最も耳触り的な意味で聴きやすいのはこの第2曲でしょう。冒頭から度々現れる蠢く低音はなんとなくブラームスのようです。テーマとしてはDes-A-Esという旋律動機、そしてその後に出てくる和音の動機を覚えておくと、それらを基にして他の部分も捉えることができます。聴覚上は12/8拍子を覆い隠すように書かれていますね。



 右手にメロディ、左手に伴奏の分散和音という、いかにも19世紀的なパッセージも登場します。異名同音なので若干気付きにくいかもしれませんが、冒頭テーマのDes-A-Esそのままの音型です。



 クライマックスでは、冒頭テーマから導き出されたパッセージを、左右の手がタイミングをずらしながら音楽に渦を巻いていきます。ここは演奏者にとっても大きな難所になっておりまして、弾く人の指のことをシェーンベルクは配慮してくれてはいないように思います。


 ちなみにブゾーニは演奏会用にこの第2曲だけを独自アレンジしておりまして、基本的に音を足したりフレーズを引き伸ばしたりしていますが、この部分に関してはかなりの簡易化を施しています。




第3曲 Bewegte Achtel


 第3曲だけは前の2曲から少し期間をおいて作曲されました。打って変わって、この第3曲は古典的な書き方を避けています。それはつまり、同じメロディが回帰しないのです。


 提示したテーマを基に音楽を発展させていくという手法は、どんなに激情的な和音の響きを用いたとしてもまだ理性を失ってはいません。そこにはきちんと統御が存在してしまうのです。迸る激情を音楽に投影しようとした時、遂には "形式" までも放棄することを選んだのです。これをシェーンベルクは「芸術における意識的作意の排除」と呼びました。


 この第3曲を構成する原理は、楽想ごとの間に起こる激しいコントラストです。1フレーズごとに全てテンポが変動すると言っても過言ではありません。



 この第3曲によって打ち出された非論理性・雑多性は、後に《6つのピアノ小品》Op.19や《月に憑かれたピエロ》Op.21の一部へと繋がっていきます…が、そのあたりでシェーンベルクのみならず新ウィーン楽派が大きな壁にぶち当たったのは、また別の話です。


 

 画家のカンディンスキーに宛てた手紙の中で、シェーンベルクは音楽によって人間の無意識を表出することを主張しています。この考えこそ、表現主義芸術が重きをおいているものであります。人間の奥底に沈殿するものをぶちまけるように表に出した時、それは必ずしも整理整頓されたものとは限らないどころか、そうでないものの方が多いのではないでしょうか。


 一般に不協和音と呼ばれる響きを嫌悪する人は少なくないでしょう。しかしそもそも不協和音とは何だったのでしょうか。現代では四和音どころか五和音くらいならばクラシックのみならずポップスにさえ普通の顔をして登場します。


 シェーンベルクがこの作品を書く前から、リストは減七和音を連発し、ヴァーグナーは半音階で進行していました。後にマーラーは十二音のうちの九音で絶叫します。シェーンベルクが突然変異なのではなく、その前から密かに準備が進んでいたことは注視すべきものでしょう。

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