歌モノを制作する際に、曲より先に歌詞が作られているものを「詞先」、歌詞より先に曲が作られているものを「曲先」と呼んだりします。
クラシック音楽の場合、恐らく9割9分くらいの作品が「詞先」に該当するでしょう。歌詞とは書きましたが、主にそれらは作曲されることを前提とはしない「詩」であります。既に存在している詩を持ってきて曲を付けるというパターンが、クラシックの歌曲制作の殆どであると思います。
そのような事情もあり、複数の作曲家が同一の詩を用いてそれぞれの歌曲を書くという事例は珍しいことではありません。シューベルトとヴェルナー、それぞれがゲーテの『野ばら』に曲を付けていることを学校の音楽の教科書で見たことがある人も多いでしょう。
それ以外の例でも、例えばゲーテの『魔王』に曲を付けたのはシューベルトだけではありません。もちろんシューベルトのそれが最も有名ではあるのですが、他にもベートーヴェン、レーヴェ、ライヒャルト、シュポーア、ツェルターといった多くの作曲家たちがそれぞれに曲を付けています。"同詩異曲" の楽しみはポップスにはあまり見られないかもしれません。
ここまでは「同じ詩に」「別の作曲家が」「異なる音楽を付ける」ということに言及しました。ところで、例は少なくなるのですが「同じ詩に」「同じ作曲家が」「異なる音楽を付ける」という例も存在しまして、作曲家自身の考え方や作り方の変化を聴き比べることができるという面白さがあります。
いくつかの例を、その状況も含めて見ていきたいと思います。なお、榎本の趣味がドイツ・リートに偏っていることをご承知の上でお読みください。
まずはベートーヴェンの《4つのアリエッタと1つのデュエット》Op.82からの抜粋を紹介しましょう。こちらはベートーヴェンが書いた珍しいイタリア語の歌曲です。作曲は1809年頃と言われ、何故このような曲を書こうとしたかは不明とされます…が、渡辺護『ドイツ歌曲の歴史』では「実際はその多くがサリエリに師事した頃の作曲であろうとされている」と言及されていまして、「1809年頃の作曲」というのは何も無いところから作ったのではなく、元々作られていたこの作品に手を加える形だったのではないかと想像します。
そんなOp.82を構成する5曲のうち、第3曲と第4曲《せっかちな恋人》は、どちらもメタスタジオの同じ詩に作曲されています。見所はその書き分けの対照性にあります。
まずは第3曲の方をご覧ください。オペラ・ブッファ風の軽妙な音楽ですね。
そして同じ詩を用いた第4曲がこちら。今度はセリアのスタイルで書かれ、この短い区間でもAndante con espressioneとAllegroが入れ替わり、熱情的に歌い上げます。第4曲だけは本当に1809年になってから書かれたと言っている資料もありますが、確かにそんな気もしてきます。
この曲集の成立については結局謎が多いながらも、同じ詩で二つのスタイルを書き上げるという実験的試みを示すという意味で、ベートーヴェンの企みは為し遂げられているのではないでしょうか。
そして同じくベートーヴェンの、今度は経緯も判明している同詩異曲としては、ティートゲの教訓詩集『ウラニア』からの詩に付けた2つの《希望に寄す》が挙げられます…が、この例は厳密には全く同じ詩とも言えないという点について後で書きます。
《希望に寄す》Op.32は、1805年に書かれました。ベートーヴェン的には中期に入って脂が乗り始める頃です。
この曲は有節歌曲(詩の各節が同じメロディで歌われる歌曲)です。この《希望に寄す》Op.32は3節から成っているので、歌も3番の歌詞まであることになります。絶妙な転調や大胆な終止形を交えつつも、音楽は比較的穏やかに進みます。
さて、このOp.32を書いた後の1811年に、ベートーヴェンはこの詩の作者ティートゲと面会する機会を得ました。その際に、なんと詩『希望に寄す』は改作されていたことが判明。元々の詩の前に5行の詩句が追加されていたことを知ったのでした。きっとこの時には改めてもう一度《希望に寄す》を作ることを考え始めたでしょう。
そして書かれたのが《希望に寄す》Op.94です。作曲に着手したのは1813年、完成したのは1815年でしたから、Op.32から10年経ってもう一度同じ名前の歌曲が生まれたわけです。詩自体が改作されたので「同じ詩」とは言えないのですが…
しかも、その書法は格段に進んだものとなっています。追加された第1節には調の不安定なレチタティーヴォ風の音楽を付け、Op.32では有節歌曲にまとめてしまった各節にも異なる音楽を付け、さらには最後に新たな第2節(改作前の第1節)を回帰させるという、長大な構成の通作歌曲へと生まれ変わりました。演奏時間は歌曲にしては驚異の7分です。
秘めたる情感を歌い上げる有節歌曲のOp.32と、劇的な音楽展開を見せる通作歌曲のOp.94という2つの異なる《希望に寄す》は、それぞれの形でベートーヴェンなりの希望の音楽が託されていることでしょう。10年という歳月を経て一人の人間の音楽がここまで深化するということは、これら2作を聴き比べることで感じ取れると思います。
年月が経過する前と後で同詩異曲を書いていると、その作曲家の表現方法の変化を味わえるという楽しみがあります。
ここでさらに極端な例を挙げておきましょう。オーストリアは新ヴィーン楽派の作曲家 ベルクがシュトルムの詩を用いて書いた歌曲《私の両眼を閉ざしてほしい》は、やはり長い年月を隔てて二度書かれています。こちらは詩には変化は全くありませんが、スタイルに大きな変化があります。
どちらも作品番号が付いていないため、大抵は作曲年を併記することによってどちらの曲であるかを判断します。先に書かれたのは1907年の《私の両眼を閉ざしてほしい》です。《ピアノソナタ》Op.1を書いたのが1908年の夏ですから、それより前の習作時代の作品ですね。《初期の7つの歌》などと同様に、ロマンティックな調性感のあるスタイルで書かれています。「私の両眼を閉ざしてほしい/愛しいその両手で/そうすれば全ての苦しみが/あなたの手の中で鎮まる」という歌詞は、後に妻となるヘレーネに宛てたメッセージにもなったでしょう。
次にベルクがこの詩に戻ってきて新たな音楽を作るのは1925年のことです。出版社ウニヴェルザールが翌年に設立25周年を迎えるというので、そのお祝いのための再作曲でした。
新ヴィーン楽派は1920年代には長い沈黙を破り、十二音技法を作曲に用いるようになっていました。そう、1925年の晩夏に書かれた《私の両眼を閉ざしてほしい》は十二音技法で書かれました。しかも全音程音列という、短2度から長7度までの全ての音程を含む音列となっています。理屈としては凝ったことをやっているなぁと思いきや、聴いてみると普通にロマンティックな響きが聴こえてくるあたりがやっぱり「ロマン主義者ベルク」といった感じですね。
ところでこの曲の音列は歌のメロディラインを見ればわかる通りのF-E-C-A-G-D-As-Des-Es-Ges-B-H(Ces)となります。当時のベルクはハンナ・フックス(アルマ・マーラーの最後の夫フランツ・ヴェルフェルの妹にあたる)との不倫真っ只中。Hanna Fuchsのイニシャルが音列の最初と最後に隠れているのが見えますでしょうか。この曲の小節数も、ハンナの運命数10の倍数である20小節です。「私の両眼を閉ざしてほしい/愛しいその両手で/そうすれば全ての苦しみが/あなたの手の中で鎮まる」というメッセージが今度はハンナに向けられているわけですね。
どちらの《私の両眼を閉ざしてほしい》にもベルクが愛を託しているであろうことは確かなのですが、なるほど、これはその思いが向けられた相手まで異なるパターンか…と思うところであります。これを表向きにはウニヴェルザール社のお祝いとして発表しているベルクが一番タチ悪い。
他にも山田耕筰の《からたちの花》が通作歌曲のものと有節歌曲のものとある…みたいな例もあるのですが、手元にあまり資料が無いので詳しくは触れないでおきます。"同詩異曲"を聴き比べるという企画はなかなかマニアックなのであまり演奏機会も見当たらないかもしれませんが、是非とも興味をもっていただけると、より作曲家たちの創作スタイルや考え方などの変化も見て取れますから、面白さが増すのではないかと思います。
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