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執筆者の写真Satoshi Enomoto

【雑記】納得できていないものは薦められない:自分で広報活動をする理由

更新日:2022年2月3日


 余程の名声でも無い限り、音楽家自身が地道な広報活動をしてまわるということは、あまり一般には知られていないかもしれませんが大多数の現実であります。


 実際には昔など、高名な音楽家であっても地域の有力者のパーティーに顔を出さねば営業にならなかったなどという話を聞きます。意外に足を使って集客をしていたのだなと思いつつ、案外現代の方がこのような地道すぎる活動はむしろ可視化されている節もあるかもしれません。SNSをはじめとするコミュニケーションツールの発達によって、知名度と親しみが集客に重視されるようになったのが果たして良かったのかどうかはさておき、です。


 僕など知名度に関しては全然低い部類である上に、学生時代からずっと「気軽に話しかけられそうな雰囲気ではない」などとさえ言われている始末なので、はっきり言って現代のインフルエンサー式広報にはほぼ敗北を喫しております。


 結局のところ普段から色々な音楽イベントに足を運んではチラシをばら蒔いてPRしたり、SNSで演奏動画や分析ネタなどを提供する形での広報を行っていました。僕の場合はどちらかというと前者の方が効果が上がっていました。


 しかし、コロナ禍に入ってからは方々へ気軽に出歩くということも憚られるようになり、一方でネット上では依然として上手く立ち回れないという逆境にいます。早くコロナ終われとは毎日のように思っていますね。


 このような状況にありつつも、大して華も無い僕の広報に協力してくださる人たちには感謝してもしきれないと思っています。尚更僕自身が動かないわけにはいかないというものであります。


 

 音楽家本人が地道な広報をしなくても、きちんと広報のプロがついてその業務を上手くやってくれるという業態はきちんと存在するには存在します。「じゃあ榎本も頼めよ」と言われるところなのかもしれませんし、そうした方が上手い具合に運ぶのかもしれません。ただ、僕は自分の広報を自分の手でやりたいと考えてやっている面が大いにあるのです。


 基本的に僕がこなしている仕事のうち、頼まれる仕事の殆どは伴奏です。翻って、ソロを弾く機会の殆どは自主企画、たまにガラコンサートへの参加であり、選曲や構成はほぼ自分で行っています。そしてその選曲や構成には僕なりの意図を毎度忍ばせてあります。僕が演奏をする目的は、「一連の演奏を聴くことによって何かに気付いてほしい」ということですので、そうなってもらうための工夫を色々と考えることになります。


 つまりは「今回はどんな音楽に出会って何に気付くことになるだろうか」というポイントに興味を喚起された状態でコンサートに来てほしいと思うのです。そして普段からその興味を喚起する役割を担うのも、僕は自分の仕事であると考えています。広報はあくまでも音楽への興味を喚起するための活動も兼ねているのでありまして、協力者がいることに越したことはないですが、僕自身がそこに関わろうとしないのはあり得ないと考えているのです。



 

 平たく言えば、僕は「これらの音楽にはこんな面白さがある(と僕自身は思っている)よ!」を提示し、それによって聴きに来てくださる方々の音楽との生活がより豊かになってくれればよいと思っているのであります。それは、どうしても僕自身の視点から考えた音楽であります。広報をやってくれる人に「勝手に集客しておいて」などと丸投げすることは、僕自身の音楽に対する責任をも放棄することを意味すると思います。だからこそ、ブログ記事としてコンセプトを書いたり試聴動画を公開したりすることによって、協力してくださる人たちは「榎本がこういうことをやるらしいよ」と言ってくれるだけで済むようにしておきたいのです。もちろん、そこに何を感じるかを付け加えてくれるのも大歓迎です。


 それに、どんな狙いがあってそのようなコンサートを行うのかを僕自身が先陣を切って明示しなければ、広報に協力してくださる方々も困ってしまうと思います。逆の立場で考えた時に、何をやりたいのかいまいちよくわからないようなコンサートの宣伝を頼まれても、宣伝のしようがないのです。どんなものなのか、何が面白いのかを自分の中で納得できていないものを、本心から他人に薦めることはできないのです。


 このことは、振り返ってみると普段の演奏においても言えることかもしれません。「ほぼ無作為な音の羅列から自力で音楽を取り出しましょう」みたいな音楽ゲームのような作品でもない限りは、その音楽のどのようなところにどのような魅力があるのかを掴んでいるからこそ、表現として相手に届けることができるのでしょう。楽譜を機械的指示のように音の羅列に変換したところで、それはプログラミングの遂行でしかありません。他人事のように原稿を声に出しているのと大差はないと考えます。


 以前の記事にも書いた覚えがありますが、おそらく一般の人々はクラシックのコンサートに興味を全く持っていない状態がデフォルトです。元々興味のある人だけでコンサートを回そうとすれば世界は内輪へと閉じていくでしょう。僕はそれを望みません。ならば、如何に面倒であろうが労力を使おうが、音楽家本人が可能な限り広報に関わらねばと思うのであります。



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