「クラシックの演奏家たちはコンサートの事後報告が多くて事前告知をあまりしない」という意見を読みました。
告知も宣伝もやっとりますがな!!!
…と心の中で絶叫したのはさておき、また僕の周りの演奏家たちも事前告知も宣伝もやっているのを見ているということもさておき、つまり告知も宣伝も届くところにろくに届いていないという現実が導き出されるのであります。
(なお、確かに伴奏として出演するフライヤーもチケットも渡されていないコンサートについては僕も事後報告しかしていません。告知のしようが無いので)
「コンサートやります! 来てください!」だけしか言わないのはもはや宣伝とは言い難いでしょう。それだけで来てくれるのは信者であるか、もしくは付き合いということだと考えてしまってよいと思います。
まあしかし、そのような形態はこれまでも行われてきている話であり、一概に否定できるものでもないでしょう。「何をやってもお金を払ってくれる固定の客を確保できれば食えるよ」ということは言われたことがありますし、なるほどとも思いました。むしろ僕は自分が権威主義に日和った演奏会をやったら周りにはぜひ叩いてほしいとさえ考えているので、そういうことをやりたいとは思いませんが。
メディアツールの発達によってか、良くも悪くも個人の発信力が問われるようになりました。
メディア的拡声器のような、より大きな声を持っている方がコンサート開催当日以前の情報戦を勝ちやすいという点は指摘できるでしょう。コンクールなどに入賞する最大の利点はここにあると言ってもよいかもしれません。すなわち、"大きな声" 発信力を手に入れることです。ネームバリューのある演奏家を呼んでくる効果もそこにあります。
一方で、動画サイトやSNSの流行に乗じて "大きな声" を手に入れる方法も確立されました。それら経由で仕事を取ってくるという話も聞くようになり、営業自体はやりやすくもなったのかもしれません。僕自身も両手で数え足りる程度ではありますが、いくらかの依頼をいただくことはありました。ちなみに『テンペスト』もコダーイラボもそれらのうちの一つです。
それらによって興味を持っていただいて、何かしらの依頼をいただくことは決して嬉しくないわけではありません。それらにおいても自分なりの要領で色々なことを試行できる余裕はあるからです。レッスンに階名唱を採り入れようとか、作曲にライト・モティーフを使ってみようとかいう裁量は利くわけです。
ただやはり、音楽家自身の音楽観が最も濃い形で顕れるのは自主企画でしょう。頼まれ仕事ならばそんなことは気にせずに収入を得ることは可能ですが、頼まれていないことをやるわけですからこちらは大変です。
まずは初期状態で味方がいないということが挙げられます。味方をつけるところから始めるのが得策であることは確かでしょうが、その企画の意図を真に把握している人が複数人揃うことなどは貴重でしょう。後援をつければどうにか…というところはありつつも、基本的に "声が小さい" という課題はまとわりついてくるものです。
となると、普段から "大きな声" を獲得することが重要になってくるのでしょう。それはすなわち、常に注目される状態を作っておくことが求められるのです。音楽家たちがSNSや動画サイトの更新に対して限られた時間を割いている理由はそこにあります。むしろこれに時間を割かない音楽家について「あの人は発信しない」などと言うような世の中になったことに対してはなかなかの違和感を感じますが。
なるほど、そうなると研究や練習に時間を全振りし、丁寧に企画の主旨を説明してアピールしていくよりは、映えやバズりの一つ二つ狙った方が効率は良いし効果も高いのかもしれません。僕自身は後者のような音楽を目指してはおらず、基本的に宣伝方法は前者なのでありまして、本当に色々な音楽に興味を持っている音楽家の諸先輩方に拡散していただいたりすることによってたまに集客に成功することがありました。
あまりに映えバズり路線の発信がうまく行ってしまうと、人を集めるためにそちらに舵を切ってしまうのでしょう。ただ、そこに集まってくる人は "そういう路線を求める人たち" であります。そのように身を固めてしまうと、その後に身動きが取れなくなることは充分にあり得ます。
世間の需要とは無関係に、僕には大事にしたいし世に問いたい音楽が色々あります。その多くはパッと聴いて地味であったり(しかしじっくり聴くと面白いし美しい)、クラシックの中での人気の高い部類からは外れていたりします。それらを封じて注目を集めたところで、自分が大事にしたい音楽が求められていないことに変わりは無いわけです。
普段から注目を集めておいてから告知を打つ…その方法がある意味賢いのはその通りです。しかし、ただ単純に集めただけの注目が期待しているのは決してその音楽家の全てではなく、その中の特定のものなのです。
ならば、他人の注目・興味を集めるにもその材料はきちんと選ばねばなりません。どのような音楽に対してどのように興味を向けてもらいたいかを音楽家側が日和ることによって、人々は自分の虚像を目指して来るわけです。虚像を演じ続けられるならばよいのですが、虚像から自分が逃れられなくなるのは悲惨なことであるように思います。そのあたりのことを世間では「ブランディング」と言うのでしょうけれど、集め方にも気を配らねばならないのでしょう。
個人的な話、僕の音楽嗜好は「アンチ・ロマン派」だと思っています。ピアノ音楽からすれば最も華々しく人気のあるところですが、どうもそこに共感が湧かないのです。自分の中でそんな状態なのに、わざわざ自主企画で弾くこともないでしょう。しかしそのために興味をもってもらえなくて困るのも僕ですから、どうにかそうではない音楽にも注目していただけるようにブログだのSNSだのYouTubeだのをそれぞれ細々とやっているわけです。これが上手い方法であるかどうかはわかりませんが。
実際のところ、僕は上手い売り方などは知りません。興味を持っていただける稀有な皆様が買ってくださるだけのことです。普段から "大きな声を持っている"、つまりは注目を集めている人こそが集客することができるという状況は変えようがありません。その中でできることといえば、よいと感じてもらえるような音楽を用意して、アプローチを試行錯誤することだけでしょう。
さあ、ここまで書きました。手探りですが行動もしています。告知も宣伝もやっています。↓の方にある関連記事にコンサート情報も貼っちゃうぞ!(ご来場お待ちしております)
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