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執筆者の写真Satoshi Enomoto

【感想】Lutherヒロシ市村 生配信 STUDIO LIVE

更新日:2021年8月17日


 8月8日、Lutherヒロシ市村先生の生配信STUDIO LIVEが行われました。僕は当日は17:00まで池袋で仕事をしていたため、アーカイヴを視聴しました。その感想を書いていきたいと思います。ネタバレが嫌な方はお戻りください。



 プログラムは以下。最後の《やさしさ》(片桐温志 作詞 / 森 雄太 作曲)は恐らく公開初演になると思いますが、それ以外のプログラムは声楽科ではない音大生にもお馴染みの歌曲群であると思います。僕も副科声楽で歌った曲がいくつかあります。


 三輪えり花先生との二重唱で《コジ・ファン・トゥッテ》があるのだろう…とスルーしそうになりましたが、なるほど、バスでグリエルモが聴けるのはなかなか新しいかもしれません。伴奏はお馴染み、伊藤那実さんです。



 オープニングは伊藤さんのピアノソロで、森雄太さんの《三元豚のねぎ塩豚カルビ弁当(麦飯)に寄す》。すっかりオープニング枠に定着したようです(?)。今回もタイトルを検索したことを白状します。


 

 さて、Luther先生の今回の歌の中で、個人的に最も衝撃を受けたプログラムを挙げておきましょう。何を隠そう、1曲目であるベッリーニの《優雅な月よ》です。


 この曲は副科声楽でさえもほぼ全員が通る曲でしょうか。僕も歌いましたし、何人もの伴奏をしました。シンプルで美しいメロディなのですが、学生時代に僕自身が演奏した感触として、この曲は「何も無い音楽になりやすい」と思っていました。


 Luther先生の演奏はそんな僕のイメージをいきなり爆砕しました。微細なコントロールによって、歌い回しにおいて非常に繊細な緩急や表情を実現しているのです。何も無くないどころではない、最初から最後までぎっしりと充実した《優雅な月よ》でした。



 もちろん良い意味で、このような演奏を聴いたことがありませんでしたし、また恐らく表面的に真似しようとしても同じようにはコントロールが利かないと思いました。ある意味Luther先生の演奏スタイルだからできることなのかもしれません。


 他の曲目についても、もしかすると外面的には『バスが移調して歌うイタリア歌曲集』のようなイロモノプログラムのように映っていた節があるかもしれません。しかし蓋を開けてみれば、バスがどうのということは(良い意味で)まるで気にならない、『音大生がなんとなく歌ってしまう歌、実はこんなに良い曲でした集』だったと僕は感じています。




 

 「この歳でその曲を?」のような反応が無かったわけではないと思います。ただ、数十年に及ぶ音楽経験を重ねてからやる音楽は、まだまだ若い音大生がやる音楽とは異なったものになると思います。


 今回の例に限った話ではありません。ピアノ科の学生はきっとバッハの《インヴェンションとシンフォニア》や《平均律クラヴィーア曲集》やショパンの《エチュード》などにほぼ必修のように取り組んできたでしょう。それでも、その時に練習して演奏したというだけで、「これらはもう完璧に弾ける」と満足してしまうような学生はいないはずです。いや、それらの曲だけにすら限りません。どんな曲でも、思い出した頃に引っ張り出して、人生経験と共に磨いていくものなのでしょう。


 僕自身にも、学生時代に背伸びして弾いて全く納得のいく演奏ができなかった作品や、弾ける気がせずに避けた作品がいくつもあります。もはやバッハの《平均律》やショパンの《エチュード》なんて、まともにさえ弾けていた気がしません。


 そして、それは僕も自分が納得のいく形の音楽として演奏できるようになるまでは、自分の練習として弾くことはあっても、公の場に出すことはないと断言します。その結果、ショパンの《仔犬のワルツ》を人前で弾くのが60歳になってしまったり、バッハの《ゴルドベルク変奏曲》を弾けるのが来世になったりしたならばそれはそれでしょう。


 呑気にそんなことを言っていると本当に現世にいるうちに弾けないということが起きるかもしれませんから、きっと大切なのはそういった音楽を演奏できるようになることを目指して目の前の音楽経験を積み重ねていくことなのでしょう。演奏家としては身の引き締まる思いを感じたライヴでした。


 

 ちなみにですが、今年の10月2日にはLuther先生の第11回リサイタルが行われます。僕も特別合唱団『コールなみ』としてご一緒します。引き続きよろしくお願いします。

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