しばらく放置していた名曲紹介もたまには書いていきます。
今回取り上げるのは、ピアノ学習者ならば必ず一度は弾くことになるであろう、モーツァルトの《ロンド》KV485です。全音のソナチネアルバムにも収録されていますね。僕も中学生の時に弾きました。実際、技術的難易度は比較的易しい部類の曲だと思います。
この作品は弟子のシャルロッテ・フォン・ヴュルベン嬢のために書かれたとされていますが、内容が非常に学習に向いているものであることは事実です。
まず、ロンドというタイトルであるからには、テーマと様々なエピソードを行き来するロンド形式で書かれているのだろうなとは想像ができます。
このような明解なテーマが基本になります。曲の基本となる調を主調と呼びますが、ここでは主調はニ長調です。
テーマのメロディが一段落すると、テーマの音型を用いて転調が起こっていきます。この部分はロ短調の和音から始まりますが、ロ短調はニ長調の平行調ですね。
そしてどこへ向かうかというと、今度はイ長調でテーマが奏でられます。
イ長調はニ長調にとって、近親調の一つである属調にあたります。♯が一つ増えますね。
次いでイ長調のまま左手でもテーマが演奏されます。右手は16分音符の分散和音ですね。
この後、音楽はイ長調のまま一段落します。しかもリピートによって冒頭に戻ります。おや、なかなかこれはロンド形式にしては珍しいことをやりますね。
リピートを越えたところには、テーマ音型を用いた転調が待っています。
どこに行くのかと思わせながら、相変わらずテーマに突入します。しかし今度はト長調、ニ長調にとっての下属調です。♯が1つ減ります。
そこからまた転調の紆余曲折を経て、ようやくテーマが冒頭と同じニ長調で戻ってきます。
冒頭の場合は長調で2回繰り返されますが、今度はニ短調でも奏でられます。ニ短調はニ長調にとって同主調の関係にあります。
まだまだ転調していきます。半音階の経過が向かう先は…
なんとヘ長調です。ヘ長調はニ短調にとっての平行調です。調号は♭1つですね。
つまりヘ長調はニ長調から見ると同主調の平行調という関係になります。
そしてまたもや半音階を経てニ長調に戻ります。中間部前で出てきた右手分散和音・左手テーマという形態です。
ということはそろそろ終わりかなと思いきや、
同主調のⅥへの偽終止をぶっ込むことによって、そのまま変ロ長調に突入します。ニ長調にとっては同主調のⅥ度調(または同主調の平行調の下属調)。聴き手は「まだ終わらんのかい!」というだけでなく、「自分たちはどこに来た!?」という衝撃を受けること間違い無しでしょう。
そしてようやくこの後無事にニ長調へ戻り、曲は終わります。
ロンド形式は、いくつかテーマのヴァリエーション(変奏)を用意したとしても、テーマ自体がここまで多くの調を飛び回るという例はなかなか見ないと思います。主調に近い調…近親調を網羅した上にその先まで踏み込むわけですからね。このコンパクトな尺の中でこれほどの転調を行うモーツァルトのフットワークには驚嘆するばかりです。
また、この作品にはもう一点、画期的なポイントがあります。
リピート記号とニ長調でテーマが回帰する2つの箇所で音楽を区切り、3つの部分に分けてみましょう。すると、ニ長調で始まりイ長調で終わる提示部、転調を経てト長調で始まる展開部、ニ長調で始まり(紆余曲折ありながらも)ニ長調で終わる再現部という、擬似的なソナタ形式として捉えることもできるのです。
ロンドとソナタをミックスした形式の秩序化のベクトルと、テーマが次々に異なる調で登場するという混沌化のベクトルを併せ持たせるという、大胆な実験を成功させてしまうモーツァルトの非凡さを伝える傑作だと思っています。
ところで。
このロンドの「(階名)ソーーーファミーーレドーー」というテーマには元ネタとされるものがあります。
モーツァルトに大きな影響を与えた作曲家の一人として、ヨハン・クリスティアン・バッハの名を挙げることができます。大バッハの息子たちの中で音楽家になった4人の内の末っ子であり、イギリスに渡ってロンドンで活躍しました。
そんなクリスティアンの《五重奏曲》Op.11-6には、副主題としてこんなメロディが出てきます。
そのまんまじゃん。
本当に意図的にこのメロディをテーマに起用したかどうかはわかりませんが、かといってただの偶然と片付けるのもなかなか惜しい符合でしょう。
そしてもう一点、このロンドのテーマは後世においても顔を出します。
モーツァルトを敬愛した作曲家として、プーランクを挙げることができます。そんなプーランクが《ピアノ協奏曲》で書いたメロディの一つがこちら。
…プーランクともなると、さすがに知っていてやっているような気がしなくもないところですね…
ピアノ学習者が必ず通る道、モーツァルトの《ロンド》KV485
この可愛い顔をした作品に込められた一切妥協の無い創意は、じっくりと向き合うほどにささやかな彩りを我々に見せてくれることでしょう。
初心者が弾く曲だと侮ってはいけません。むしろ定期的にこの曲に立ち戻ってみると「ほう、音楽のことがちょっとはわかってきたかい?」とモーツァルトに言われているような感覚になります。