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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【名曲紹介】幸田延《ヴァイオリンソナタ ニ短調》:謎多き単一楽章と、瀧廉太郎の影?


 今月末8/31のコンサート『ことうたこん』にて、僕は日本クラシック音楽黎明期の作曲家 幸田延(こうだ のぶ、1870-1946)の代表作の一つである《ヴァイオリンソナタ ニ短調》を演奏します。



 僕の出身高校である神奈川県立横浜平沼高校の校歌を作曲したのがこの幸田延という作曲家だったもので、個人的にはビッグネームに違いないのですが、しかし一般のクラシック聴衆には馴染みの薄い人物かもしれないので、作曲家自身のことも含めてこのソナタについての記事を書きたいと思います。


 しかし如何せん、幸田延の代表作とは言いながらも、彼女のヴァイオリンソナタは背景不詳の部分が多いです。客観的情報というよりは僕に見えている情報あるいは僕が勝手に想像したものへの言及であるということを承知の上でお読みください。


 

 幸田延は、かの幸田露伴の妹にあたる人物です。元は三味線や長唄、箏曲を学んだようですが、お雇い外国人の音楽教育者であったメーソン(Luther Whiting Mason, 1818-1896)に見出だされ、1889年に第1回文部省音楽留学生としてボストン、次いでウィーンに留学しました。特にウィーンでのヴァイオリンの師匠はヨーゼフ・ヘルメスベルガーⅡ世(Joseph Hellmesberger Ⅱ, 1855-1907)であり、幸田延はクライスラーらと同門ということになります。帰国後は瀧廉太郎や山田耕筰らを指導しました。


 ちなみに幸田延の妹である幸田幸(結婚後は安藤幸)も後にベルリンに留学してヨアヒムに学び、ヴァイオリニストとなっています。姉妹揃って日本音楽界を牽引したようです。


 

 あくまでもこの記事は《ヴァイオリンソナタ ニ短調》についてのものですが、実は幸田延の作品には《ヴァイオリンソナタ 変ホ長調》もありまして、これらは別作品となっています。そして散々「代表作」と言っておきながら、これら2つのヴァイオリンソナタは両方とも空白や欠落のある作品です。


 変ホ長調の方は恐らくウィーン留学中の1895年頃に書かれたもので、3楽章から構成されます。しかし、その第3楽章は128小節目までで途切れており、他にも所々に空白があるようです。公の場で演奏したという話はあるらしいので、その時は抜粋だったのでしょうか。いずれにせよ、こちらは典型的な古典のソナタ形式を踏襲した明快な音楽となっています。


 一方のニ短調の方は単一楽章と思われるドラマティックなソナタ形式の作品です。こちらは終止線まで辿り着いているものの、やはり空白の箇所があるようです。補作した池辺晋一郎先生は作曲年を1897年としていましたが、どうやらそれは確かではないようです。ただ、変ホ長調のソナタよりもニ短調のソナタの方が明らかに書法が柔軟になって手馴れているのが見て取れますから、変ホ長調よりもニ短調の方が後に書かれたであろうとは感じています。前者を「第1番」、後者を「第2番」と呼ぶのは恐らく順序的には正しい気がしますが、確証が無いので僕は調で呼んでいます。


 このニ短調のソナタが本当に単一楽章で終わろうとしたのかどうかについては断言しかねるところです。ここで終わることもできますし、次の楽章を続けようと思えば続けられないこともない音楽であるからです。榎本的には「充実感のある音楽なので単一楽章で終わっても不足は感じない」と考えていますが、その理由は解説をする中でも言及しますね。


 

 さて、ここから《ヴァイオリンソナタ ニ短調》の中身を追っていきましょう。


 ピアノの8分音符の刻みに乗ってヴァイオリンが朗々と歌い上げる第1主題から音楽は始まります。メロディには3連符が含まれているために、伴奏の刻みとの関係性から緊張感が生まれますね。


 19小節目からはピアノが第1主題を繰り返して印象付けますが、その裏でヴァイオリンが副旋律を歌います。これが個人的にミステリーを感じるポイントでして、このヴァイオリンの副旋律は瀧廉太郎が亡くなる前に書いた無伴奏合唱曲《別れの歌》のメロディそのままなのです。瀧廉太郎は病気を得てドイツから帰国した1902年に《別れの歌》を書き、その翌年に亡くなりましたから、もしこのソナタが1897年に書かれたのであれば時系列から引用は不可能になるわけですが、仮に幸田のソナタがもっと後に書かれていたとして、オマージュ的に引用したという可能性があったらより面白いなとも想像するところです。やはりそれは横浜平沼高校の校歌が《荒城の月》の引用ではないかという話から想像したものではあるのですが。


 27小節目から推移し、35小節目から穏やかな第2主題が登場し、ピアノからヴァイオリンという順で引き継がれます。51小節目から勢いを増し、58小節目の頂点へとダイナミックに到達したその余韻で提示部を終えます。


 75小節目から展開部に突入します。典型的なソナタでは第1主題と第2主題が素材として用いられますが、75小節から第1主題が反行形で出てきたのも束の間、83小節目からは第1主題の副旋律、つまり先述の瀧廉太郎の《別れの歌》の引用かもしれないメロディが様々な転調を経過しながら展開し始めるのです。このメロディは動機として次々に細分化されながら切迫し、情念の爆発するような頂点へ到達します。


 115小節目から再現部となります。第1主題はヴァイオリンとピアノの尺が半分ずつの長さに縮小され、すぐに推移に入ります。推移の結尾には第1主題の動機がエコーします。137小節目からの第2主題は提示部と尺は変わりません。第2主題クライマックスの余韻が結尾部へと繋がっていきますが、提示部でヘ長調へと輝かしく終止するのとは異なり、再現部ではニ短調でエネルギーは下降していきます。最後の力を振り絞って177小節目にヴァイオリンの短いカデンツァ風のパッセージが用意されていますが、それを過ぎるとrit.を常にかけながら底へと沈むように消えていきます。


 単一楽章とは言えど、このような力強い音楽ですから、第2楽章以降を続けなくとも聴き手の充実感は充分なものでしょう。もしも本当に万が一、第1主題の副旋律を用いるということが目的だったのであれば、この単一楽章を書いた段階で目的は果たしているでしょうし。


 

 幸田延のヴァイオリンソナタは、日本におけるクラシック音楽史上において大きな意義をもつと思います。と言うのも、日本伝統音楽の素養をもった人間がクラシックに出会い、その後の日本クラシック音楽史が作られるきっかけとなった最初期の創作活動の結果の一つがこの作品であったのでしょう。


 和洋交流というテーマを掲げたコンサートにおいて、ここまで根元的な選曲もなかなか他に無いでしょう。明治時代当時、日本人が西洋の音楽に対峙し取り込むことにおける労力は現代の比ではなかったはずです。交流の原点としての幸田延がどのように日本のクラシック音楽を始めていったのかということを、僕たちはこれらのヴァイオリンソナタに聴くことができるでしょう。

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