演奏をする上で、何でもかんでも「楽譜に書かれた見たままに従え」「楽譜に書かれていないことはやってはいけない」という考えには個人的には反対しています。
ただそれはそれとして、やはり書かれていることを徹底してみると感じられる表現があることも事実でありましょう。よくある例を出してみました。下の図のような指示があった時、そうでないとはわかっていつつも「pp」が見えた瞬間に < が > に転じてしまうケースがあります。
せっかくテンションを高めていっているところでこれをやってしまうと、その高揚が達せられないばかりか、途中で日和ったような印象を与える音楽が出てきてしまいます。高揚をやりきった次の瞬間に空気が変わるからこそ効果も上がるというものでしょう。
Twitterに投げてみたところ、どうやら身に覚えのある方も少なくはないようでした。大丈夫、僕自身も身に覚えがあります。
この例を受けて、主に作曲家の方々からは「< の後端の強弱を書くべきではないか」「pp には subito (すぐに) を付けるべきではないか」という意見が上がりました。なるほど、確かにその方が演奏者にはよりくっきりと表現してもらえることが期待できそうです。
僕が実際に演奏していて遭遇したこのような例には、もちろんそのように書かれたものもありましたが、後端の強弱記号も subito も書かれないものもありました。なぜそのような書き方が為されたのかを、僕も不思議に思いました。
あくまでも僕が接した作品をサンプルに想像してみた一案が、次のものです。
第一に、< はその後端まできちんと有効ではあります。その先に書かれた強弱記号が前端の強弱記号以下のものである時に、どのようにそれを演奏することになるかを考えました。
楽器の発音上で瞬時に次の音の音量を落とすことは可能です。しかしそれは発音上の都合でありまして、音は空間にも存在しています。つまりこの場合、< の直後すぐにppの音を鳴らしても、空間に残っている < 後端の音がかぶってしまうのです。
ppをppとして聴かせるためには、空間に残っている音の減衰を待つ必要があるのです。それは楽譜上に書かれていない自然の > であるのでしょう。そこにどうしても発生するほんの一瞬かもしれない "間" "時間の伸縮" がそのまま音楽表現となる可能性は考えられないでしょうか。
つまり楽譜上に書かれる形で見えない <> が実際には揃っているからこそ、< の後端に具体的に強弱記号を書くことができず、また > があるので subito でもないということになるのかもしれません。
これが真理というわけではなく、あくまでも表現の一案として捉えていただけるとありがたいです。
ところで、僕がこのような話を考えるきっかけになった曲を挙げておきましょう。
先月はブラームスの《ホルン三重奏曲》とともにドビュッシーの小品をいくつか弾きました。普段はなんとなくドビュッシーにハードルを感じておりまして、自分から進んでドビュッシーを弾くことはあまり無いのですが、その時はドビュッシーの有名な小品いくつかを編曲したものの伴奏を頼まれていたのです。
その合わせのなかで、前奏曲集からの《亜麻色の髪の乙女》に関してソリストが疑問を投げ掛けてきたのです。短い曲ですが、下図のような箇所がありました。
p < p >
その場では答えに窮したことを白状します。何だこのピンポイントで <> の間にいる p は。
そんなこんなでモヤッとしたまま本番は終えてしまったわけですが、最近になってシェーンベルクの《4つの歌曲》Op.2を掘り起こしていたところ、そういえば似たようなことをやっていたことを思い出したのでした。
下に載せた譜例は《4つの歌曲》の第1曲『期待』の終盤です。枯れた樫の木のそばの赤い館から男を招いているのが青白い女の手…という幻想的(ホラー?)な情景のシーンですが、そのオチの言葉こそが「Frauenhand (女の手)」であるわけです。
「招いているのは……(何だ、何なんだ!?)……女の手」みたいな表現をイメージしていただけるとよいかもしれません。そのために必要な伸縮が「 p < pp 」であるわけです(譜例の外にpが書かれています)。
そして似たような用例は第2曲『君の金色の櫛を僕にください』にもありました。これも終盤、「君の心を僕に預ける気は無いかい? …………マグダレーナよ」という場面です。
「君の心を僕に預ける気は無いかい?」と問う箇所はどんどんテンションが上がる < がかかっています。その後に langsam(遅く) で p がやってきます。「……マグダレーナよ」と名前を呼び掛ける前にフッと柔らかく願うような表情に変わるわけですね。なるほど、これは流石に subito のスピード感はそぐわないかもしれません。
たまたま最近接した例がドビュッシーとシェーンベルクだった上に、この少ないサンプルだけで考えただけですから、もっと色々調べてみたらまた異なる可能性も出てくるでしょう。《4つの歌曲》Op.2は12月に実演しますから、そこに向けても素敵な表現を模索していきたいと思います。
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