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執筆者の写真Satoshi Enomoto

【名曲紹介】信長貴富《初心のうた》

更新日:2022年2月9日

 最近になってとうとう政治に対して意見を表明する人が増えてきたように思います。


 これまではできるだけ波風を立てずにいた方が変な損害を被らずに済み、それで実際生活や仕事もうまく回っていたということは事実でしょう。


 しかしやはり、此度のコロナ禍その他によって「政治が自分たちの生活を直撃する」ということを誰もが思い知ったのは大きかったでしょう。自粛への遅すぎる補償、国より先に行動を起こす自治体、自宅で寛ぐ総理の動画の投稿、市場にマスクが戻ってきた時点でさえ東京都内にしか届いていない布マスク、そして火事場泥棒的な不急の憲法改正論議や検察庁法改正案、丁寧な議論を飛ばす強行採決、野党議員による与党議員への寝返り…


 著名人たちが今まで政治の話題を敢えて控えていたのは、政治に言及することによって周囲の人間の間に争いを生んだり、自分が酷い攻撃に曝されたりする空気をわかっていたからです。しかし今や、このまま黙っていた場合の損害の方が大きいという状況に変わってきました。ならば言及するリスクを負ってでも、言葉に出して主張した方が世の中が悪い方向に行く損害よりはマシな結果になると考えることにもなりましょう。結果的に、政治的発言に踏み切った人たちには政権擁護勢力の方々から職業差別や人格攻撃もセットの心無い罵詈雑言が吐きかけられたわけでして、なるほどこれが自国の空気か…などと暗澹たる思いにもなりましたが。


 外界からどんな理不尽な干渉が行われようとも、自分の人生の責任は自分が取らねばならないわけですから、自分の暮らしている国の先行きを「こりゃいかんな」と思ったら、自分の人生を良くしたいという思いで声を上げていいと思うのですよ。たとえ政治に詳しくなくても、自分よりも圧倒的に詳しい人たちが援護してくれる可能性だって現代には溢れているわけですからね。どんな人でも一人の人間らしくあろうとする権利はありますし、エンタメ消費者にとって都合の良い存在である必要は無いでしょう。


 僕も最近まで、政治主張は持っていながらもあまりそれを公表せずにしれっと投票に行くだけでした。政治主張が喧嘩を生むからというよりも、公立学校での講師勤務を理由にできるだけ控えていたのでありまして、せいぜい同性婚支持・選択的夫婦別姓支持くらいしか表明していません(この時点で現政権に反対である姿勢はバレていると思いますが)


 しかし、実は僕の音楽経歴の中には、政治的話題に触れる機会の多いジャンルがあるのです。それが合唱です。


 

 前置きが長くなりました。記事タイトルにも掲げた通り、今回取り上げるのは作詞:木島始、作曲:信長貴富《初心のうた》です。


 この作品との出会いは高校1年生の時です。母校である横浜平沼高校合唱部は当時部員が少なく、単独でイベントに参加するには心許ない…ということで、横浜翠嵐高校と川和高校の合同合唱に混ぜてもらった時に、歌うことになっていたのがこの作品の2曲目と5曲目でした。そしてそれとほぼ同じタイミングで、校外の一般合唱団が1曲目を歌うにあたって、ドタキャンした伴奏者の代打で弾くということも起こりました。この作品にみっちり取り組む期間が偶然にも生まれ、自分の中では最も徹底的に練習した合唱作品の一つとなっています。


 この《初心のうた》という組曲がですね…それこそ抽象化しつつもかなり政治的な作品であるわけですよ。そもそも木島始(1928-2004)が社会に切り込んでいくタイプの詩を書く詩人ですけれども、社会問題提起からの未来展望という形に組曲を構成したのは信長さんのアイデアでしょう。


第1曲『初心のうた』

 ピアノの強烈な不協和音から始まります。「世の中の闇の部分を象徴する響き」というのが作曲者の談です。


どこを とおろうと

ほしを みあげ

ひとり ひとり つきとめよう

まちや くにの しくみを

ころしや つくり かりたてる

くにと ひとの しくみを


…というような歌詞を伴奏に乗せて淡々と歌い、最後の「みらいを」に向けてエネルギーを増大させていく音楽となっています。クライマックス部分で合唱はユニゾン(全パートが同じ旋律を歌う)になりますが、これは意志の重なりを表現できる書法でもありましょう。

一人一人が社会に向き合きあうことを呼びかける、組曲の中では問題提起の役割を担う曲です。社会に具体的に訴えかける合唱作品を僕が演奏者として実体験した最初の例でもありました。《初心のうた》に限らず、合唱作品にはこのような政治的なテキストと主張を伴う作品が少なくないことを知ったのはこの後のことです。


第2曲『自由さのため』

 ピアノの分散和音に乗って「酔いつぶされるな」という言葉が爽やかに歌われていきます。ピアノは所によっては微風のようであったり波のようであったりしますが、どちらも詩には繋がるものです。


 今の世の中には色々な主張や情報が氾濫していまして、自分をしっかり持っていないと同調の波に呑まれそうになることもしばしばあります。この曲のテンポが落ちて丁寧に歌われるPoco Meno Mossoの部分で最も伝えたいテキストは「手ごわい敵である / 自己に耳傾けよう」というところでしょう。酔いつぶされてはいけないのです。


第3曲『とむらいのあとは』

 組曲中で唯一無伴奏の曲です。作曲の都合上、原詩の前半部はカットされています。


銃よりひとを

しびれさす

ひきがね ひけなくなる

歌のこと


…を夢見ようという内容の詩ですが、さて、歌は人に引鉄を引けなくさせることができるでしょうか。この曲は弔いと共に、そんな歌の力を信じようとする心の表現なのかもしれませんね。


第4曲『でなおすうた』

 テキストだけ追っていくと、戦争から日常や未来へと戻ってきたことを淡々と述べていく歌のように思えます。それだけなら一見ポジティヴなものだと思えることでしょう。


 しかし、音楽は非常に不穏なものでして、不安を煽るような分散和音で開始された後、一定の四分音符が打たれるオスティナートが始まります。そこから緊張感の高まる部分や柔らかい部分もやってきたりしますが、そこでもオスティナートは続けられ、結局は最初のような低音オスティナートに戻ってきてしまいます。「わたしたちは帰還した」というテキストをcresc.とaccel.で繰り返し、頂点に達したところでfffで「はずだった」という急転直下の現実を叩きつける形でこの曲は終わります。


 戦争を反省して、以前の過ちを犯さないようにしながら新しい社会を作ろうとしてきたつもりではあるはずです。それが日本という国における「出直す」ということでもあったでしょう。それがまさかの「はずだった」という急転直下コースに突入する事態が全く起こり得ないとは断言できますまい。


「はずだった」にしないために、我々には何ができるのでしょうね。


第5曲『泉のうた』

『初心のうた』冒頭で打ち鳴らされた和音が、綺麗な和音になって回帰します。組曲の中ではまとめとしての未来展望、あるいは願いや祈りといった立ち位置の曲でしょう。とは言っても別に淡々としているだけではなく、積極的なエネルギーも持っている音楽となっています。


 示唆的であるのは中間部のテキストです。


ひそかに つぼみは 考える

どちらに 向かおうかと 考える

大きな 太陽が 夢を きめる

ひそかに つぼみは 感じてる


 そしてこの曲は最後にテノールだけが「道が あるといいな」という言葉を繰り返して終わります。信長さんはここに願いを見出だしたのかもしれません。


 道はあるだろうか。そちらに大きな太陽が存在しているだろうか。そんな未来を作り、残すことができるだろうか。未来がどちらに転ぶかを決めるのは現在の僕たち一人一人の意思でしょう。


 

 合唱界隈でも、政治主張は決して一辺倒ではありません。音楽的には仲の良い人たちでも、政治的には対立する意見を持っていることなどは珍しいことではないと観測しています。ただ、政治にアレルギーを持つ人をあまり見かけないのは、作品に取り組む上で政治を考えざるを得ない機会があるということも影響しているような気もします。ジャンル柄、反戦をテーマにした作品も数多いですしね。


 政治への言及というのは、人生を自衛する手段でもあるのです。政治を決める人たちがうまくやってくれるだろう、と任せっきりにしていたことによって思わぬ損害を被ってから後悔しても遅いわけです。黙らせたいと思う非民主的な人たちからの心無い攻撃は続いてしまうでしょう。しかし、自分の人生に責任を負う覚悟があるからこそ、黙らせようとする人たちに抗って声を上げねばならないようにも思います。


 意思を行使するのは僕たち一人一人であるわけです。


どこを とおろうと

ほしを みあげ

ひとり ひとり つきとめよう

わたしたちの みらいを

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