シェーンベルク《月に憑かれたピエロ》公演がもう来週に迫ってきました。ただでさえ気軽さの無い曲である上に平日夜という日時も相俟って「集客30人(キャパの2割)できればいい方だよな…」くらいに考えていましたが、予想以上には集客できています。ありがとうございます。
これまでにも《月に憑かれたピエロ》自体の紹介記事や、その曲種である『メロドラマ』や唱法『シュプレヒシュティンメ』にまつわる記事、さらにはシェーンベルクの他の作品の紹介記事なども書いてきました。いずれも読者の皆様がシェーンベルクの音楽に触れるにあたってのヒントにしていただきたいと思って発信してきたものです。
これらはある意味、客観的情報として見られる面が強いと思われます。シェーンベルクやその作品について既に少しでも情報を持っており、わざわざ検索してでもそれをより多く知りたい人には寄与するでしょう。しかし、そうでない人たちに対してはどのみちハードルの高いものかもしれません。
相変わらず宣伝関連の記事ばかり書いていますが、このあたりで完全に僕の主観に基づく話を出しておいてもよいでしょう。即ち、僕がシェーンベルクの音楽に出会った時の話です。
実は、シェーンベルクは元々好きな作曲家というわけではありませんでした。《浄められた夜》や《月に憑かれたピエロ》といった有名どころは存在だけは知っていたものの、聴いてもその複雑さに疑問符が浮かびまくるほどでしたし、十二音技法にいたっては「これは数学か何かなのか?」とさえ思っていたことを白状します。
学部1年生の時の西洋音楽史や鍵盤音楽史の授業でも、十二音技法で書かれた《管弦楽のための変奏曲》Op.31や《ピアノのための組曲》Op.25を聴きましたが、この時も良さがよくわからず…挙げ句の果てには「冷たさのある音楽である」などという言葉を真に受けてさえもいました。授業も、1から12まで数字を振ったり、基本音列の反行形、逆行形、反行形の逆行形を書き出したりするものでしたし…
学部2年生の最初の方でも、ピアノ演奏家コース必修の『演奏分析』という科目で「十二音技法を用いて作曲をしなさい」という課題が出て、どう使うのかもわからなかった僕はミニマルや数列やクラスターにしながらどうにか曲っぽい形に仕上げました。やはりある面では数列的操作のような冷たい音楽であると思い込んでいたのもその要因でしょう。
僕が学部2年生までに持っていたシェーンベルクへの認識は、恐らく世間的にも持たれているものの一部でしょう。それとはまた別に、「調性の破壊者」と見なされ、「カオスを作り出すために12音を平等に扱った」というイメージも持たれているであろうと思われます。YouTubeに公開されているような音楽史や音楽理論関係の動画でも、そのように紹介されていることが殆どであります。まあ耳馴れない奇妙な和音が数多く登場するのはその通りですが。
そんなシェーンベルクに対して僕が持っていたイメージの転換の切っ掛けになったのは、珍しいと思いますが大学で履修した副科声楽でした。昭和音楽大学のピアノ科は副科として声楽か電子オルガンを履修できたのですが、僕は学外で合唱もやっていましたから、ほぼ迷うこと無く声楽を選択したのでした。
師事したのは大谷政司先生です。既にご退官されていて、もう大学にはいらっしゃいませんが、今でもFacebookでたまにやり取りなどしています。大谷先生は大学院でシェーンベルクの初期の歌曲を研究していたのでした。
普段から真面目に(あるいはピアノが上手くいかないストレスの解消法として)練習していたもので、大谷先生が当初想定していたよりも僕の進行が早く、2年生の後期には30分というレッスン時間をさえももて余したことがありました。そんな時に唐突に、大谷先生が奇妙な和音をピアノで弾き始めたのでした。
「榎本くん、これ誰の曲か知ってる?」と聞かれ、知らなかった僕は全く答えることができませんでした。その曲こそがシェーンベルクの《4つの歌曲》Op.2の第1曲「期待 Erwartung」だったのです。その時に、シェーンベルクが後期ロマン派として作曲していた時期の作品に、多くの歌曲があることを教えていただいたのでした。
当時の時点でドイツリートもやったことの無い状態だったのですが、どうしてもこの《4つの歌曲》Op.2が気になってしまい、3年生になってピアノ演奏家コースのアンサンブルの授業で歌曲伴奏を選択して最初に取りかかる曲となりました。正直、当時の僕のレベルでは譜読みの段階から混迷を極めた曲でした。挑戦するタイミングを完全に間違えていたと思いますが、あそこで一旦弾いておいたからこそ今の自分があるのも事実でしょう。
ちなみにその時に歌ってくれたのが、同期の声楽科にいた中林嘉愛さんでした。今月20日の《月に憑かれたピエロ》公演ではシュプレヒシュティンメを務めますし、コンサート前半でも歌います。
歌曲伴奏関連で習った田原さえ先生、山崎裕視先生、平島誠也先生らもシェーンベルクやその周辺のリートについて多くのことを教えてくださりました。学生時代の演奏は満足のいくものではなかったかもしれませんが、あの時に学んでいたものがようやく30歳を目前にして像を結び始めた感覚はあります。僕は昭和音大に入らなくてもピアノは弾いていたでしょうが、シェーンベルクを弾くようになっていたかどうかはわかりません。
シェーンベルクの音楽に馴染めないという方は少なくないでしょう。その最たる要因の一つは、彼の音楽に含まれる複雑な和音にあるといってよいかと思われます。クラシックでもポピュラーでも、多くの聴き手は、西洋式の音楽がドミソやラドミの和音、あるいはカデンツという和音進行の定型を中心にできていると信じています。シェーンベルクの音楽はそこから遠ざかるような書法をもっており、その点こそが「音楽の破壊者」というイメージに繋がっているのでしょう。その複雑さには、かのマーラーでさえも困惑したほどでした。
しかしマーラーのような後期ロマン派の時点で、既に音楽は複雑な方向に進み始めていました。より強大な表現力を求めたという面もあるのでしょうが、では何故そのような表現力が必要になるのかということを考えると、見えてくるものがあるかもしれません。
身近に考えてみても、人間の感情は決して単純なものではないはずです。決して「楽しい ⇒ 長三和音」「悲しい ⇒ 短三和音」などと標識変換のように表せるものばかりではないでしょう。fffでラドミを鳴らしたとしても表出できない悲しみや怒りが人間の内にも存在するはずですし、ましてや言葉では表せない、人間の言葉での名前を持たない感情すらあると感じたことはないでしょうか。さらには、自覚できない無意識下にあるものは、果たして理論化された音楽の語法で描き出すことができるのでしょうか。
人間の奥底にある感情や情動、幻想的な世界を音楽に託すためには、単なるドミソやラドミでは足りなくなってしまったわけです。僕がシェーンベルクに共感できたのはその部分だったと言ってよいかもしれません。人間の内面はそんなに綺麗に整ったものではなく、もっと不可解で歪な醜いものでしょう。シェーンベルクの音楽はその不可解を以て人間の不可解を抉り出すのです。
見方によっては、理性的に調性を構築する音楽よりも遥かに感情的でしょう。シェーンベルク自身は後期ロマン派の時期から十二音技法の時期までの作風の変遷について「ずっと同じように作曲している」と言っています。本当かよ!?と思ってしまいそうですが、シェーンベルクが人間の情感を蔑ろにしたことは無いという意味で、その言葉は正しいのかもしれません。
誰しもが、その心の内に暗い感情をもち、それによって落ち込んだり苦しんだりすることがあるかもしれません。シェーンベルクの音楽は、そのような心にだけ寄り添う音楽なのでしょう。小洒落た楽観や平穏ではなく、葛藤や苦悶や熱い情念に、シェーンベルクは共鳴するのであります。
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