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執筆者の写真Satoshi Enomoto

【雑記】こんなのもある、あんなのもある


「クラシック音楽に興味があるんだけど、何から聴いたらいい?」という質問があります。


 義務教育の音楽の授業で何かしらは聴いていることでしょう。

ヴィヴァルディの『春』

バッハの『小フーガ ト短調』

ベートーヴェンの『運命』

シューベルトの『魔王』

スメタナの『ヴルタヴァ』

ムソルグスキーの『展覧会の絵』


 …等々。これらを面白いと思ってくれているだけでも、こちらとしてはなかなか嬉しいことです。


 ところで冒頭の話に戻りまして、"クラシック音楽" のところを別の文言に変えてみましょうか。


「J-POPに興味があるんだけど、何から聴いたらいい?」


 括りがデカすぎると思いますよね。


 そうなのです、"クラシック音楽" という言葉も実は括りがデカすぎるのです。特定のJ-POPをいくつか聴いて「あんまり面白くないな」と思ったところで、それはJ-POPが面白くないのではなくて、たまたま聴いた曲が自分にはピンとこなかっただけであり、それはクラシックも含め他の音楽、ひいては他の芸術やさらに他のものでも同じことではないでしょうか。


 僕自身の話をすると、僕のクラシックの入り口は、バッハでもベートーヴェンでもショパンでもなく、湯山昭であり平吉毅洲であり宍戸睦郎でありました。邦人現代作曲家から入り、そこから古典へ遡ったのです。


 一口にクラシックと言っても、人によってその範囲が様々であったりもします。最も狭義に17世紀から19世紀と言う人もいれば、どうせ繋がっているしと考えてその前後ウン百年を込みにする人もいます。多くの作曲家たちがそれぞれに自分の信じる音楽を作ってウン百年も経てば、音楽様式に変化は起き、到底同じジャンルとは思えない曲が生まれるのも当然でしょう。


 どこからどこまでがクラシックかはさておき、クラシックの音楽は作曲家それぞれが誰かから影響を受け、そして誰かへと影響を与えながら作られてきました。導線は既に出来上がっているわけです。


 ならば、定番とされる特定の作品をクラシック音楽の代表として伝えるよりも、「こんな音楽もある、あんな音楽もある」という多種多様さを提示して、どこからでも入れるように的を大きくしておくのは一つの選択肢であるように思います。そこから先はいくらでも守備範囲を拡大することができるでしょう。


 初めて聴いたバッハやベートーヴェンやショパンを必ず面白いと思わなければいけないなんてことはないのです。性に合わないだけかもしれないし、演奏が微妙ということもあるかもしれません。それよりは、中世やルネサンスや近現代の音楽を聴いて美しいとか、ある演奏家の演奏がカッコイイとか思うところからでも良いはずです。


 僕自身の演奏活動方針は概ねそこに尽きます。作曲家や作品の紹介においても、演奏スタイルにおいても「こんなのもある、あんなのもある」をやろうということです。知名度とは関係無しに面白いと思った作曲家や作品を取り上げるべきであるし、既に多くの人によって何度も弾かれている作品を弾く際にはそれまでとは異なる発見がある演奏をせねばならないと考えます。前者は砂漠、後者は血の海ですが。


 できるだけ多くの人が多くの物事に興味を持つようになってほしいものです。

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