自分で言うのもなんですが、多趣味な方だと思います。音楽に関しては言わずもがな、ピアノやクラシックに限らず色々聴きます。美術展やアートイベントも好きで足を運びます。詩集も漫画も読み漁ります。絵を描くこと、裁縫、自転車、廃墟、紅茶…そうそう、仕事の繋がりで演劇にもより興味を持つようになりました。
逆にどうしても興味が薄いのはスポーツ関連でしょうか。自分がやる分には楽しいと思うのですが、実は観戦自体にはあまり食指が動かないというのが本音ではあります。ここに関しては僕は良くないお客かもしれません。
今や演奏や作曲をする側になっているわけですが、やはりその発端は音楽への興味・関心であったように感じてはおります。もちろん音楽以外にも美術や物理などにも興味を持っていて、そちらの進路を一瞬は考えたことも無かったわけではありませんが、もし音楽を専門にする選択をしなかったとしてもコンサート通いをするくらいの趣味にはなっていたことは確実であろうと思います。少なくともスポーツ観戦よりは、です。
興味があるものと興味が無いものは人それぞれにあるであろうことはわかります。ただ、ふと最近思うのは、一般に興味や関心というものは "無い" …つまりゼロである状態がデフォルトであると考えねばならないのではないかということです。
今はSNS全盛時代でありますし、動画配信サイトなども駆使して活動を発信する人たちは非常に多くなったと思います。僕自身も、特にコロナ禍の影響を受けて紙のチラシ配布や足の営業を自粛している分、ネット上での発信に時間を割き始めました。
その中で特に感じたことが「基本的に興味は無い」ということなのです。普通に演奏動画や音楽ネタを投稿したりしても、そこに反応してくれるのは大抵の場合、既に興味を持ってくれている人たちであります。そのような人たちは、こちらがさほど熱心な発信をしなくとも、少しでも面白そうなことをやると情報公開すれば予定が許す限り勝手に調べて勝手に聴きに来てくれるものです。
忙しない現代であります。興味を向けて時間を割こうと思うものだって取捨選択されるでしょう。人によって芸術がその選択から落ちること自体は不思議ではありません。それが悪いということではなく事実として、興味が薄いものは時間を割かれないわけです。
このことは一見すると、単に顧客になり得ない程度の話で済むかと思われがちです。しかしコロナ禍が、そこから起こる分断を露にしました。芸術など無くても生きられるから補償などくれてやるべきではないと主張したり、感染拡大の懸念を拭えないオリンピックに抗議するために選手に棄権を要求したりということが現実に起こったわけです。
立場や利権やイデオロギーが絡んでいないとは言いませんが、人々は自分の興味・関心の無いことに対してはいくらでも冷酷になれるということが露呈したということは言えると考えております。関心を持たれることが少ないものほど、いざという時に切り捨てられる危険性は高まるであろうと思うのであります。
「芸術は生きるのに必要だ」という言葉を信じられたらどんなによかったでしょう。現実には、生きるのに芸術が必要の無い人たちは多く存在するわけです。それはその人たちが悪い人間であるということではなく、関心を持っていないからであります。これと同じことが、他のものにとっても起こり得ると考えます。それこそ、スポーツに関心が薄く、また下戸である僕のような人間が「スポーツは生きるのに必要無い」「飲酒は生きるのに必要無い」と言い出す可能性は充分にあるわけです。
自分が興味・関心のある事、自分が面白いと思っている事について、相手も興味を持ってくれるだろうと誰しもが信じがちであるように感じます。実際にはそんなことはなく、むしろ興味は無いという状態の方が通常であると思うのです。ただ単に「コンサートがあります! よかったら来てね!」とだけ言われたところで、興味の無い殆どの人たちにとっては興味の無いものに行く気は起きないのです。
大衆迎合を良いと言っているわけではありません。興味・関心を喚起できなければ伝えたいことすら伝えられないという時点の話なのです。擦り寄る必要は無いでしょうが、導く必要はあると思います。しかも、こちらが期待しているほどに相手はこちらに興味を持っていないという前提がセットで、です。こちらが工夫して働きかけてなお相手の反応が悪いということに対して文句を言っても仕方ないでしょう。
興味・関心は "無い" のがデフォルト。むしろそこから考え始めることによって、興味・関心を生み出す方法を思い付くかもしれませんし、誘導の方法もわかるかもしれません。それが大衆迎合になるかどうかは匙加減によるだけではないかと思います。時々「またそんな大雑把なことを…」なんて思う発信も見るには見ますが、結局興味の取っ掛かりになることには成功していて、その世界にある程度踏み入ってから「そうとも限らんな」「この世界は最初思っていたより広いな」ということに気付ければよいのでしょう。
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