「チェルニー」の名を聞けば、ピアノを習った経験のある方々は揃ってあの苦行のようなエチュードを思い起こすでしょう。
30番練習曲集(30曲から成る《技巧練習曲》Op.849)から始めて、それが終わったら40番練習曲(40曲から成る《速度教本》Op.299)、そしてそれが終わったら50番練習曲(50曲から成る《指の熟達法》Op.740)、さらにそれが終わったら60番練習曲(60曲から成る《妙技教本、ヴィルトゥオジティの手引き》Op.365)と…果てしない…とても果てしない…
あらためまして、チェルニー(Carl Czerny, 1791~1857)は、ウィーンで活躍したピアニスト・作曲家、そしてピアノ指導者です。専ら彼の名前はピアノ指導者として知られているでしょう。ベートーヴェン、クレメンティ、フンメルに学び、またその門下生にはリストやレシェティツキがいます。そう、実はそんな作曲家たちを繋ぐ位置にいる作曲家こそがチェルニーであるわけです。
しかし…現状において、殆んどの方がチェルニーに対して、すっかり「あの味気無い苦行のようなエチュードを書いた作曲家」としてのイメージを持っているでしょう。まあ確かにエチュードは多いのです。なにせ教育者として活躍しましたので。
そんな教育者として有名なチェルニーの、作曲家やピアニストとしての一面を掘ってみると、意外にも面白いことをやった人であるということが見えてきます。その取っ掛かりとして今回取り上げるのが、チェルニーの《ピアノソナタ第1番》Op.7 です。
さて、チェルニーの師匠でありますご存じベートーヴェンは、ピアノソナタというジャンルにおいて巨大な足跡を遺しました。実験を繰り広げ、ソナタという形式の可能性を大きく拡大したのです。その後の作曲家たちがピアノソナタを書く時には、どうしてもベートーヴェンの背中が目に入ってしまうようになり、新規性を考えねばならなくなっていったという事実はありましょう。
そしてチェルニーもまた、どうにか新しいソナタを書くことができないかを考えていたと思うのです。ということで、彼の《ピアノソナタ第1番》を順次見ていくことにしましょう。
このソナタが出版されたのは1820年と推定されています。ベートーヴェンも存命で、かの《ピアノソナタ第30番》Op.109を書いていた頃です。まさにベートーヴェンが『後期』という深淵へと突き進んでいくのと同じ時に、チェルニーはどこを向いていたのでしょうか。
ちなみに、チェルニーは《実用的作曲教本》Op.600 において典型的なソナタの楽章構成を説明しています。すなわち、
第1楽章:Allegro
第2楽章:Adagio または Andante
第3楽章:Scherzo または Menuet
第4楽章:Finale または Rondo
…とのことです。これに関しては師匠のベートーヴェンがスケルツォ導入したり楽章位置入れ替えたりテンポ設定を弄ったりしていますが、さてチェルニーさんは如何に。
第1楽章
Andante As-Dur
はい、普通は速い楽章が置かれるのが定石ではありますが、いきなりここがまずAndanteで始まります。決して序奏というわけでもなく、のどかな雰囲気の第一主題提示です。まあ、Allegroで始まらないソナタなんてのは他にもありますから。
これが展開部に入ると、テンポ表記がAllegro moderato ed espressivoとなり、第二主題の動機を断片的に用いながらも、今までに無かった息の長い旋律も登場します。展開部で新しい旋律が投入されるのは先例のあることではありますが、そこでテンポ表記ごと音楽の空気が一変するという劇的な効果を演出したこの例は、ベートーヴェンよりも進んで次世代の劇的表現への方針を打ち出したものと考えることもできるでしょう。
再現部ではAndanteに戻り、提示部に出てきた動機を組み合わせながら盛り上げていき、分厚い和音の fff で高らかに頂点を築いた後に穏やかに静まって曲を締め括ります。
第2楽章
Prestissimo agitato cis-moll
第1楽章が急速楽章ではなかったと思ったら、第2楽章が嵐のようなソナタ楽章です。ベートーヴェンの《ピアノソナタ第29番『ハンマークラヴィーア』》Op.106も、第3楽章ではなく第2楽章に急速楽章であるスケルツォが置かれていますね。
奇しくも、ベートーヴェンの《ピアノソナタ第14番『月光』》Op.27-2と同じcis-mollです。それはDes-Dur(As-Durから見た下属調)の同主調なのですが、さらにテンポ表記がPrestissimo agitatoです。月光の終楽章はPresto agitatoですね。~issimoが付いているぶん、そこからさらにパワーアップしているようなものです。音楽的性格がかなり似ているので、月光ソナタの終楽章をかっこいいと思う人はこの曲にも一目惚れならぬ一耳惚れすることでしょう。ド迫力で駆け抜けます。
第3楽章
Adagio espressivo e cantabile Des-Dur
ここで歌謡楽章です。半音でジリジリ動くところ、ただの付点ではなく複付点でたっぷり歌わせようとするところあたりにこだわりを感じますね。伴奏の音型がベートーヴェンの《ピアノソナタ第17番『テンペスト』》Op.31-2の第2楽章に出てくるものと似ている気がしないでもないです。
曲が進むにつれて和音も分厚くなるわ広範囲のオクターヴパッセージも登場するわで、実は技術的にも容赦無いところはさすがチェルニーと言ったところでしょうか。
曲中にはdolcissimoやcon fuocoといった発想記号もあります。表情をより豊かに出していこうという意志の現れも感じるところです。
第4楽章
Rondo : Allegretto As-Dur
なるほど、4楽章構成のソナタの終楽章にロンドを持ってくるのは定石ですね。
ベートーヴェン譲りの軽妙なロンドにチェルニーの技巧が加わったような音楽となっています。抒情的なレチタティーヴォがあるのも聴かせ所でしょう。pppで曲は閉じられます。
第5楽章
Capriccio Fugato : Tempo moderato as-moll
あれ!? ロンドで終わりじゃなかったん!? と、実は不意打ちでなんと第5楽章が置かれています。交響曲ならベートーヴェンの第6番《田園》が5楽章構成でしたが…しかしピアノソナタでそれは前代未聞だったでしょう。しかもその中身はフガート、まさかの対位法的楽曲です。そういえば、やはりベートーヴェンの『ハンマークラヴィーア』の終楽章にフーガがありましたが…チェルニーはそれを参考にしたのでしょうか。
調もas-mollというなかなかお目にかからないものです。As-Durから見ると同主調ですから、まあ恐らく最後にAs-Durに転調して終わるのだろうなぁ、などと想像はつきます。そして待ち構えていたのは…
なんと第1楽章の主題です。そう、5楽章ぶんもの演奏時間を経てきて、最初の主題の回想をもって終わるのです。長大な物語を長々と紡いできたこのピアノソナタは、最後に一本の芯が貫かれて完結するのです。
本来なら、『ハンマークラヴィーア』の後になお巨大なソナタを続けたはずの作曲家はベートーヴェンその人だったでしょう。しかしベートーヴェンは後期三大ソナタの深淵に舵を切りました。そしてそれと対照的に、ベートーヴェン中期の先に伸びていたであろう実験巨大化路線を進んだのはチェルニーだったのです。
ついでにその後のチェルニーのソナタ創作の履歴を確認しておきましょう。そこにはベートーヴェンからロマン派への過渡期において、ソナタの重量が増していく過程を読み取ることができるように感じます。
第1番 Op.7 As-Dur (1820)
5楽章構成。第5楽章にフガート。
第2番 Op.13 a-moll (1821)
5楽章構成。第5楽章にフーガ。
第3番 Op.57 f-moll (1824)
4楽章構成。
第4番 Op.65 G-Dur (1824)
4楽章構成。
第5番 Op.76 E-Dur (1824)
5楽章構成。
第6番 Op.124 D-Dur (1827)
7楽章構成。演奏時間50分。
第7番 Op.143 e-moll (1827)
『ソナタ形式による大幻想曲』5楽章構成。リースに献呈。
第8番 Op.144 Es-Dur (1827)
『ソナタ形式による大幻想曲』5楽章構成。カルクブレンナーに献呈。
第9番 Op.145 h-moll (1827)
『ソナタ形式による大幻想曲』6楽章構成、第6楽章にフーガ。モシェレスに献呈。
第10番 Op.268 B-Dur (1831)
『エチュード大ソナタ』4楽章構成。エチュード的な技巧が含まれる。
第11番 Op.730 Des-Dur (1843)
4楽章構成。フォン・ランノイに献呈。
番外『ドメニコ・スカルラッティの様式によるソナタ』 Op.788 fis-moll (1847)
1楽章構成。
チェルニーのピアノソナタは、存在を知られてはいるもののあまり演奏されていないというのが現状でしょう。その要因には規模の大きさやプログラム中での扱いづらさも挙げられるとは思いますが、やはりどうしてもチェルニーの名前が機械的なエチュードとばかり結びつけられ、他の作品を省みられにくいことが第一にあると考えます。
チェルニーはソナタ以外にも多くのピアノ作品を遺しました。それらに触れ、チェルニーの音楽性を感じ取ることによって、今まで無味乾燥にしか映らなかったエチュードがどこへ繋がってゆくかという指針を明瞭に持つことができるようになるかもしれません。
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