állati kettös のリサイタル「コンポーザー・ピアニストたちのピアニズム」終演いたしました!
聴きに来てくださった皆様、本当にありがとうございました。色々と事故もあったりしましたが、楽しんでいただけていたら幸いです。
自分の演奏振り返り。
【リパッティ:夜想曲】
曲自体も演奏も意外なほど好評でした。僕自身もこの曲は大好きですし、リパッティも大好きなのですが、知名度は明らかに低い曲なので、1曲目に持ってくるのもどうかという心配もありました。しかし「この曲好き!」と思ってくれた方がかなり多く、共演した野中拓人くんの先生も「私もこれからこの曲弾いていくわ!」とまで言ってくださって、僕がこの曲を弾こうと思ったことは間違っていなかったと嬉しくなりました。学生時代、このようなロマンティックな歌い方を要求する曲を弾くのは苦手でコンプレックスもあったのですが、自分なりにも少しは成長できたのかなと思うところです。
【グレインジャー:デリー地方のアイルランド民謡】
こちらは一部の方々と僕の家族に好評でした。原曲はみんなが知っている曲ですから、どんなふうにアレンジされているかを聴くのがポイントでした。実は楽譜にオプションで「やりたかったら2番の1フレーズはオクターヴ上げて弾いてもいい」と書いてあったので、オクターヴ上げて弾きました。ちなみにこの曲は関内のストリートピアノや旅行先の旅館でも弾いたりして、年配の方々が結構喜んでくれるんですよね。今後とも「何か弾いて!」と言われたら弾くレパートリーにしておきたいです。
【バルトーク:野外にて】
いやもうこれは大変だった! バルトークの ソナタなんかは案外理屈で覚えやすかったりするんですが、こっちはそれがあまり通用しなかった。音楽の脈絡で先が見えないという今までに無い恐怖を味わいました。余裕を無くして地が出てしまいましたね。ソナタと共に、今後事あるごとに引っ張り出して弾きつつ、30代までにレパートリーにできていたらいいなと思います。また弾く日まで待っていてください。
【シューベルト:幻想曲】
今後10年は弾かないようにしよう!(笑) そう思ったくらいには難しかったです。技術的にというよりも、精神的に追いつかなかったような気がします。シューベルトが死んだ歳=この幻想曲を書いた歳まであと4年と少しなんですが、自らの死を悟った晩年モードのシューベルトには敵わなかった。しかし、シューベルトの他の作品に挑んでみようという思いだけは残りました。精進していきたいところです。
【自作:即興曲『Cecil Taylorを讃えて』】
最近自分の考えていたテーマを放出した結果がこれでした。「楽譜を忠実に守って弾かなきゃ」とか「自分の感情なんか入れるな」とか「練習した通りに弾けばいいのよ」とか、ピアノを弾くことについて巷で言われている諸々にどうしても違和感を感じてしまっていたのです。そこでぶち上げようと思ったのが「忠実に守るほどの楽譜が無い」「舞台上での全ての能動的行為が即“演奏”であり“音楽”」「その場で音楽を作るので“練習”はほぼ意味を成さないし“練習通り”にはできない」というコンセプトでした。また、僕自身のコンプレックスである「言葉を組み立ててからでないと口に出して喋れない」という隠れ障害(?)に刃向かう意図もありました。僕は本番で遂にピアノを叩きながら叫びましたが、あれは、メロディですらない“音”を能動的に発すること、それだけでもう“音楽表現”が始まるのだという考えを示したかったのです。別に笑っても泣いてもいいのです、それがあなたの心ならば。芸術という行為は魂や心が解放されるのをきっと許してくれるでしょう。曲を書くピアノ弾きである僕が選んだ“反旗の翻し方”のつもりです。
実は昔から…大学に入るずっと前、それこそコンクールに出始めた小学6年生頃から、「ピアノを弾く」という行為に息苦しさがあったことを白状します。もちろんピアノを弾くことは好きでしたし音楽も好きでしたし、辞めようなどとは思ったこともありません(今までの人生で1ヶ月間だけ音楽とは関係の無い理由で音楽ができなくなっていたことはあるが、それはまた別の話)。つまるところ、小学生なんかにとって「ピアノを弾く」と言った時に弾く曲は“自分ではない他の誰かが作った曲”であるわけです。誰かがその誰かのやり方で書いた音楽を弾くということは、自分は自分だというのに、自動的にその誰かが書いた音楽をやることになると感じていたわけです。ピアノを弾くだけに留まる限り、作曲家が作ってくれた道しか歩けないように思えていたのです。
そんな中学1年生の時に聴いたのが、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の自作自演のCDでした。あの有名なものですね。僕にとっての一番の衝撃は「自分の弾く曲を自分で書いてもいいんだ!」ということだったのです。いやそんな考えてみれば当然のことを…などと思われそうですが、「歩きたい道を自分で作っていい」ということを知って世界はひっくり返りました。その後、榎本少年は独学で曲を…“自分の歩きたい道”を書き始めたのでした。
おそらく僕が作曲を始めたのは、純粋に作曲をやりたいと思ったからというよりも、伸び伸びと自分の弾きたい音楽を自分の手で作ってしまうコンポーザー・ピアニストたちを「羨ましい」と思ったからなのでしょう。僕がやっていることは、モーツァルトやベートーヴェン、ショパンやリスト、ラフマニノフやスクリャービン、グレインジャーやバルトーク、リパッティやギーゼキング、グルダやジェフスキなどがやってきたことと同じことなのだと思います。きっと先人たちも「自分のやりたい音楽をやる」ということを実践してきただけではなかったか、ならば現代の僕たちもそんな律義に先人たちの作った道を辿ろうとしなくても、自分たちの歩きたいと思った道を歩いてもいいのではないかと、今回のリサイタルを通して考えたのでした。
留言