アルバン・ベルク(Alban Berg, 1885-1935)はシェーンベルクの門下生の一人として知られます。後にはシェーンベルクの考案した十二音技法を後期ロマン派的な作風の中で用い、シェーンベルク一門の中では比較的人気を手に入れた作曲家であると言えるでしょう。
ベルクの音楽がシェーンベルクの影響下にあることは事実でしょう。しかし、ベルクはシェーンベルクよりも前の時代の様々な先人たちの作品を当初から好んでいました。特にブラームスを気に入っていたという話もありまして、シェーンベルクから学んだ発展的変奏の技法も、実際にはその前に既にブラームスの音楽から学んでいたかもしれません。シェーンベルクの下でベルクは夥しい数の歌曲を制作し、そのうちの7曲が今《7つの初期の歌曲》として愛好されています。
さて、そんなベルクが1908年の夏に完成させたのがこの《ピアノソナタ》Op.1です。これはシェーンベルク門下の卒業制作として書かれました。やはりシェーンベルクの下で学んだ発展的変奏の技法がふんだんに用いられており、冒頭に凝縮された動機からほぼ全編が導き出されています。
このソナタは単一楽章構成で書かれています。現在でこそ単一楽章のソナタは珍しいわけでもなくなったと思いますが、100年前の時期では例が無いわけではないとはいえ少数派ではあったでしょう。この前の年にスクリャービンの《ピアノソナタ第5番》やプロコフィエフの《ピアノソナタ第1番》などが書かれていますが。
(D.スカルラッティのソナタ群はノーカウントで。ソナタのモデルが異なる時代ではあると思いますが、かのソナタ群の中にも後世のソナタ形式で書かれたものがあります)
恐らく知名度の高い単一楽章のソナタとして真っ先に挙がるのはリストの《ピアノソナタ》でしょうか。ベルクのソナタと同じく主調がロ短調 h-mollであるということも要因の一つかもしれません。ただ、リストのソナタが多楽章構成を捉え直したものであったのに対して、ベルクのソナタは単に多楽章構成の第1楽章部分のみという状態です。実際にベルクは当初このソナタを多楽章構成で書こうと考えており、この第1楽章だったものを書き終えた時点で続きを考えられなくなってしまった際にシェーンベルクが言った「ならば君はもう言うべきことを言い切ったのだ」という意見に従って単一楽章で完成とした経緯があります。
このソナタは楽譜の調号としてはロ短調のものが書かれており、確かに最後はロ短調の主和音に終止するものの、楽曲の経過中は殆ど同じ調に留まっていることはありません。臨時記号が大量に出てくる譜面なので、本来は書かなくてもよい親切臨時記号が書かれているのはむしろ助かるところです。
実のところ、形式自体は伝統的・典型的なソナタをきちんと踏襲していると思います。第一主題・第二主題は明確に判別できますし、提示部・展開部・再現部・結尾部もわかりやすいでしょう。その一方で、主題が同じ動機から導出されていることや、調関係による構成が希薄化しているという要因によって、典型的なソナタの「主題を対比させる」という原理からは離れている印象を受けます。
主な動機は大きく分けて4つ指摘できるでしょうか。
一つ目の動機は4度+4度による7度跳躍です。冒頭の G-C-Fis に代表される音型ですね。この動機は音の順番を入れ替えたり、反行形にしたり、移高したり、あるいは恣意的に音程関係を変えたりしながら様々な旋律になっていきます。完全4度か増4度か、長7度か短7度かはその場の判断でしょう。
二つ目の動機は増三和音です。G-Es-H の音型に代表されます。下行する形で登場しますが、これも音の順番を入れ替えて使うことができます。
三つ目の動機は半音階です。もはや動機と考えるには怪しいレベルで一般的な音の動きではありますが、平行和音の形などでもかなり意識的に用いているように聴こえましたので、これも含めさせていただきます。
四つ目の動機は付点のリズムです。「付点なんてどこにでもあるやろ!!!」と思いそうなものですが、ベルクの手にかかれば何の変哲も無さそうな付点でさえも意味あり気に強烈な存在感をもって響きます。
これらが組み合わせられて、以下のように第一主題が提示されます。
第一主題を繰り返して印象付けながら、動機の交錯による推移が繰り広げられます。移高や音価の拡大縮小といった操作も当然のように行われます。
29小節目からテンポを落として第二主題に入ります(載せている楽譜は曲冒頭のアウフタクトを1小節と数えてしまっているため小節番号に齟齬があります)。直前にイ長調の属和音(第五音上方変位)があることも相俟ってイ長調のような雰囲気も感じますが、その調性も揺れ動いていてかなり曖昧です。
E-Ais-H という音型も、冒頭の G-C-Fis から変形して導出できることがおわかりになるでしょうか。G-C-Fis を移高して H-E-Ais 、そこから音を並べ替えることによって得ることができます。
38小節Veloceの6連符のパッセージも、G-C-Fis の Fis を基準に反行形にすることよって F-C-Fisを得ることができます。A-E-Es についても、G-C-Fis を移高して E-A-Es(Dis) 、その順序を並び替えて得られます。
Veloceは提示部のクライマックスを築いた後、徐々にテンポを落としながら小結尾部に入ります。6連符のパッセージの拡大形であることは明瞭でしょう。グロッキーな精神状態を感じさせるような音楽となっています。
展開部は冒頭の主題がエコーのように繰り返されながら始まります。それが盛り上がり、頂点に達して落ちてきた後から、Animato で対位書法による動機同士の絡み合いが始まります。こここそが初期のベルクの作品の中では屈指の対位法の見せどころでしょう。
下の譜例でのマーカーチェック箇所は少ないですが、例えば右手のA-Es-C, H-F-F, E-B-As などといった音型もまた音程を恣意的に調整された冒頭の動機でしょう。
典型的なソナタの展開部というと、第一主題と第二主題の交錯はもちろん、更にはどちらかの主題が全く展開に使われなかったり、あるいは提示部に出てこなかった新たな主題が顔を出すことさえあるものです。
しかしこのソナタの展開部は、第一主題の展開 → 動機群の対位法 → 第二主題の展開 という、かなり律儀でわかりやすい構成をもっています。これは聴覚上でも明瞭に聴き取ることができます。確かに二つの主題が同じ動機から導出されているとは言え、その対比が消えてしまわないための配慮は為されていると思われます。
111小節目から再現部が始まりますが、その直前から動機が復活しているのが聴こえますね。再現部もまた第一主題と第二主題を省略などせずに律儀に再現しますが、もはやこのソナタでは主要動機によるパッセージを挿入することによって、提示部よりさらに音楽を拡大する形で再現部を形成します。
再現部第二主題のクライマックスをご覧いただきましょう。fff で感情が極点に達する瞬間には molto espressivo で G-C-Fis の動機が鳴り響くのです。まるでこの動機が「俺はここにいるぞ!」と自身の存在を叫ぶかのようであると感じます。
動機の絶叫の後、音楽は終結部へゆっくりと落ちていきます。それはさながら夜の底へ落ちていくような情景を思い起こさせます。着地点が右往左往しながら、遂にはロ短調へ辿り着き終着となります。
音楽がこのまま消え行くと思われた最後の瞬間、水底から水面へ上がる泡のように、夜の底から G-C-Fis が木霊します。全体の音楽としては沈んでゆくところで、この動機だけは遠退く意識の中で最後の力を振り絞ってその存在を示すという幕切れとなります。
記事の冒頭で書きました通り、このソナタの二つの主題は同じ動機によって構築されています。典型的なソナタでは二つの主題は二人の人物に喩えられますが、この考えに立つのであれば、ベルクのソナタは二人の人物の対話ではなく、一人の人物の中に対立する感情の対比と捉えられるのではないでしょうか。第一主題も第二主題も自分自身であるわけです。
それら主題を成す動機の役割こそ、自身の中に乱立する感情の根源にある "自我" であると考えることも可能ではないかと思います。やはり最も重要な動機は、何度も木霊した G-C-Fis でしょう。この動機は響く度に、聴き手に自我を訴えかけるわけです。
当のベルクが何を考えてこの曲を書いたのかはわかりません。もちろん発展的変奏の徹底的な実験であっただけという可能性もあるでしょう。しかし、この執拗に響く動機には、これから作曲家として歩き始めていくベルクの自我の叫びを汲み取りたいとも思うのであります。
Commentaires