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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【名曲紹介】ベートーヴェン《アデライーデ》Op.46:若き楽聖、歌の始まり

 

 1792年の11月、ヴィーンに一人の青年がやって来ました。彼こそが、後に西洋音楽史にその名を刻んだ大作曲家ベートーヴェンその人であります。一月後には22歳になるこの若者は、既にその名を轟かせていた作曲家ハイドンに師事するためにヴィーンにやって来ました。


 もちろんドイツのボンにいた時からネーフェに学び、その楽才を育てていた彼ではありますが、大学をストレートで卒業する年齢でようやくヴィーンでの勉強を始めようということですから、この人は割と現代の若い音大生たちにとって親近感の湧く人物像なのではないかと思ったり思わなかったりします。



 さて、ベートーヴェンはハイドンに師事するためにヴィーンにやって来たわけですが、肝心のハイドンがイギリスでヒットして多忙となり、あまりベートーヴェンを教える時間は取れなかったようです。


 ではどうしたものか…といったところで、ベートーヴェンは他の教師たちに指導を仰ぐことになります。シェンクやアルブレヒツベルガーに対位法を学び、さらにはかつてモーツァルトの良きライバルであり、宮廷楽長サリエリに作曲を学ぶこともできました。ヴィーンでの修業時代は、彼の難聴が悪化する1790年代後半あたりまで続きます。なるほど、Op.1のピアノ三重奏曲集やOp.2のピアノソナタ集がまとまったのが1795年のことでした。


 ベートーヴェンの作品の作品番号は作曲順ではありません。ピアノ協奏曲は《第1番》Op.15よりも《第2番》Op.19の方が先に作曲されています。《ピアノ協奏曲第2番》の完成年は1795年…おう、これも修業時代のものですね。


 ところで、その1795年には彼の生前からの人気作であった歌曲が書かれています。それこそがこの記事で紹介しようとした歌曲 ── 《アデライーデ》Op.46です。


 

 《アデライーデ》は詩人マティソンの、自然の美しさと女性アデライーデへの熱情を歌うロマンティックな詩に付曲されました。これはベートーヴェンが書いたメロディの中でも特に優美・流麗なものの一つでしょう。イタリア音楽からの影響が指摘されることもあるようですが、なにせサリエリ先生がそばにいたわけですから、そこから学んだことは大きいでしょうね。


 詩は4つの連から成っています。詩だけ見ると4つの連がどれもだいたい同じ形をしているので、ぶっちゃけ4連とも同じメロディをあてて有節歌曲にしてしまうこともできなくはなかったでしょう。しかしベートーヴェンはそのような手抜きはしませんでした。むしろそれどころか、各連にそれぞれ異なる音楽を付けていったのです。自身の墓からなお生命感に満ちた花が芽吹く第四連では、それまでLarghettoで紆余曲折を経て進んできた音楽もAllegro moltoへと転じ、希望を残して終わりに向かいます。


 一方で、それぞれの連へと場面が変わっても憧れは不滅であり続けます。下の図はそれぞれの連の始まりの部分を抜き出して階名を振ったものです。リズムや調、テンポが異なってもなお、頑なにソ-ド-ミという動機からメロディが導かれているのが見えて(聴こえて)きます。ソからドを経由してミまで長6度上行する音型は憧れを表すようにも捉えられます。



 優美な旋律法を習得しつつも、動機労作によって音楽を積み上げていくという書法は、やはりソナタを突き詰めた作曲家としての姿勢をこの時点から見るようでもあります。そしてその不滅の動機に詩的意味が託されることもあるのでしょう。


 この作品の初版にベートーヴェンは「マティソンの詩による《アデライーデ》、声と鍵盤楽器伴奏によるカンタータ」と銘打ちました。随分と思い切ったことを書いたと思う一方で、そういえば器楽の「ソナタ」の対になる声楽の「カンタータ」という捉え方があったような…ということも考えた次第であります。


 そんな思い切った副題を付けたくせに、意外にもベートーヴェン自身はこの作品の出来には自信があまり無かったようで、かなり控えめな姿勢でマティソンへこの曲を献呈しており、後年には当人がこの曲をあまり良く思っていなかったと書いている本まで見つけました。献呈されたマティソンは結構高く評価していたのですけれども…まあ、若い頃に書いた曲がずっと人気だと恥ずかしくなってくることもあるかもしれませんね…


 

 ベートーヴェンの歌曲創作は決してこれが初めてではありません。ボン時代にもネーフェに学び、十数曲の歌曲が書かれています。それは後に《8つの歌》Op.52として本人の承諾無しに出版されたりもしました。


 それでも、ベートーヴェンがヴィーンで様々な音楽家から学び、その成果として世に出たほぼ最初の歌曲の傑作こそが、この《アデライーデ》なのでしょう。同時期の器楽作品群と比べると地味に、しかし着実に、後に楽聖と呼ばれることになる青年作曲家の歌曲創作はスタートしたのでありました。



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