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【メモ】ラヴェル《水の戯れ》のペトルーシュカ和音(?)

執筆者の写真: Satoshi EnomotoSatoshi Enomoto

更新日:3月15日


 俗に「ペトルーシュカ和音」と呼ばれる構成をもつ和音があります。ストラヴィンスキーのバレエ『ペトルーシュカ』に登場し、特にそのピアノ編曲《ペトルーシュカからの3楽章》の最後に打ち鳴らされる衝撃的な不協和音として知られています。



 増4度離れた長調の主和音同士が同時に響くため、複調(異なる調を同時に重ねる技法)の代表例として紹介されることが多いでしょう。ストラヴィンスキーはその後も複調を用いた作品を発表したために、先んじたと判断された《ペトルーシュカ》の名が取られているのであろうと想像できます。


 しかしその一方で、もはや頻繁に囁かれる話があります。ストラヴィンスキーの《ペトルーシュカ》にも先んじること約10年、ラヴェルがその代表作であるピアノ曲《水の戯れ》においてペトルーシュカ和音を用いているというのです。


 なるほど、確かに分散和音と言えど、同時に響く構成音はピッチクラスまで一致しています。しかし、ラヴェルによる導出とストラヴィンスキーによる導出にはそれぞれ差異も感じました。それぞれの導出を下に観察したいと思います。


 

 ラヴェルの《水の戯れ》におけるこの構成の和音は、即興的な性格をもつ分散和音のパッセージとして現れます。



 CisとCの音は厳密には同時に打ち鳴らされるものではなく、分散和音の残響の中に揺らぐ第五音としての位置を与えられています。前から辿ってみれば、紆余曲折を経ながらも当該和音が○ⅤⅤ9として繋がっていることが判るでしょう。


 この第五音が揺れ動くドッペルドミナントはE-durから増4度離れたB-durのドッペルドミナントとして読み替えられ、次の一見遠そうに見える調へと繋がります。



 これは想像ですが、恐らくラヴェル自身には「二つの離れた調の和音を重ねる」という発想は無く、あくまでも一つの和音の発展上に現れた和音であるように考えられます。オクタトニック(八音音階)であるという指摘もありますが、まだこの時点ではその発想までも到達していないような気がするところです。


 

 一方で、ストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』におけるこの和音は強硬な理屈で導き出されているように見えます。"ペトルーシュカの部屋"の時点で和声の脈絡無く当該和音は既に登場していますが、やはりこだわりのあった和音であろうということを見るべく、"謝肉祭"から譜例を持ってきました。



 ペトルーシュカ和音に到達する箇所の主軸となる音組織はハ均と見てよいでしょう。調号も素直に受け止めてよいと思いますし。聴こえてくるメロディはハ均にあります。しかしそのハ均の和声付けは一般的な機能和声からは捻られたものとなっていることが読み取れるでしょう。主旋律に付随する和音の進行は機能通りの Ⅳ→Ⅴ→Ⅰ ではなく Ⅴ→Ⅳ→Ⅰ となっています。


 そして下部では属七の和音が半音ずつ上行しながら緊張感を高めていきます。上部では3つの和音を繰り返し、下部では12の属七和音を順次辿り、それらが噛み合った結果としてペトルーシュカ和音が響きます。ここにおいても偶然導かれただけの和音であるわけではなく、恐らくこのように導かれるように最初から仕組んでいたのではないかと思います。


 

 結果として見かけ上ではラヴェルにもストラヴィンスキーにも同様の構成をもつ和音が見られたわけですが、彼らの意識や目指したもの、そして実際の音楽的効果はそれぞれ全く同じわけではないと言えると思います。機能和声を超えて意図的により新しい響きを作ろうと試みているのはストラヴィンスキーの方でしょう。今回話題にあげた和音が「水の戯れ和音」ではなく「ペトルーシュカ和音」と呼ばれ続けるであろうことは、その役割や効果の面からも妥当かもしれないと思いました。


 ただ、僕が知らないだけで、ストラヴィンスキーが『ペトルーシュカ』よりも前の作品の中でラヴェルと同じような導出方法によってこの和音に辿り着いている可能性も否定はできないと思っています。属和音の第5音下方変位という手法自体はラヴェルよりも更に前から用いられているものです。ストラヴィンスキーがラヴェルを直接参照していなかったとしても、ロシア国内の先人たちを参照して同様の和音に辿り着いていても決して不思議なことではないでしょう。

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