普段から榎本の主張を聞いている方々にとっては、タイトルのような話題は「何を今更」という印象を受けることでしょう。しかしこのことを改めて書いておかねばならないのが現実の状況であることには納得していただけるでしょう。
即ち、いわゆる "固定ド" のことを「ドレミ…というシラブルを用いていること」を理由に "階名" と呼び発信する音楽家や指導者が存在するということです。これは固定ド移動ドのどちらを使用するかという実用問題以前に語義として誤っていると言わざるを得ない事柄です。黒鉛を指して「これは炭素原子からできているダイヤモンドです」とか、オゾン分子を指して「これは酸素原子からできている酸素です」くらいのことを宣っているような状態です。
タイトルの内容を順を追って説明していきますので、しばしお付き合いください。
この誤認識の根本にあるのは「ドレミ…というシラブルを使っているならばそれは "階名" と呼ぶ」という誤りです。
階名とは、音程に基づいて構成された音階組織における各音の相対的関係を表すための名称です。それに対して音名は絶対音高あるいは演奏機構を指す名称と言うことができるでしょう(西洋音楽史上では長らく統一された音高基準はありませんでしたので、厳密には絶対音高と言い切るのには語弊があると思います)。階名を演劇の役名、音名を演者名に喩えると受け止めやすいでしょうか。
確かにドレミ…というシラブルは元々、階名を読むために考案されました。したがって、仮に本来の用法がそのまま共通に現代まで続いていたとしたら、ドレミ…というシラブル自体を "階名" と呼んでも差し支え無かったでしょう。しかし史実はその通りにならず、17-18世紀頃からイタリアやフランスなどのラテン系諸国ではドレミ…を "音名" として用いるようになりました。
現在、ドレミ…というシラブルは、本来のような "階名" としての用法と、後年にラテン系諸国が始めた "音名" としての用法の両者に用いられています。階名として用いるからこそドレミ…は階名であるわけでして、音名として用いてしまえばドレミ…は音名になります。
さて、問題の "固定ド" について考えましょう。固定ドにおいては、ドレミ…は音名として用いられていることを認識できると思います。つまるところ固定ドにおいてはドレミ…は "音名" であり、"階名" ではないのです。
実状としては、固定ドの中には変化記号を略して言う(例えばFもFisも「ファ」と呼ぶ)人もいるくらいなので、もはや固定ドはイタリア音名やフランス音名にも届かない、日本独自の奇妙な音名用法である…という面もあるのですが、これについては記事を改めて愚痴るとしましょう。
このような記事をわざわざ書かねばならないと思ったのは、つい先日「ネットで『階名には固定ドと移動ドがあります』という説明を読んだ」という話を聞いたことがきっかけです。僕の手元ではどこの誰が発信したものなのかを特定することはできませんでしたが、ただそれに近いようなことを書いているページはいくつか発見したので、自分も記事を書いて対抗しておくことにも意味はあるだろうと思ったわけです。
しかし、たとえこの一件が無かったとしても、「固定ドのことを階名と呼ぶ」事例は以前から時々目撃していましたから、遅かれ早かれこの記事を書くことにはなったでしょう。
学校の教科書が手元にあれば読み直してほしいと思います。確かにイタリア音名やフランス音名は載っているものの、「イタリア音名=階名」などとは書かれていないはずですし、階名の解説は音名とは別に設けられているはずです。たとえ「当初は階名として考案されたドレミ…というシラブルが後に音名として定着した地域もある」という音楽史知識が無かったとしても、そもそも読んで字の如く「イタリア "音名"」だと言っているのですが。
音名用法である固定ドを指して "階名" と呼んでしまう事象の原因は、殆ど指導者個人の誤認とその継承であると考えられます。用語の丸暗記ばかりでその内容や用法を実践において確認しないからこそ、音名を "階名" と呼んで平気でいられるのでしょう。これは派閥だの界隈だのというものに矮小化される話ではなく、語義と実践認識の話です。移動ドを選ぶか固定ドを選ぶかなどという論争にさえ及ばない、前提とする認識に誤りがある段階です。
階名と音名、それぞれが何を指しているのか、その要素を指すためにどのように呼ぶのか、今一度整理してみていただきたいと思います。
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