お手元に中学校や高校の音楽の教科書がある方は読んでみていただきたいのですが、ある程度クラシック音楽の鑑賞教材が載っていると思われます。どのような楽曲を学校で鑑賞したかは人それぞれでしょうが、何か強く印象に残っている曲があるかもしれませんし、またあるいは何も印象に残っていないということもあるかもしれません。
いずれにせよ、多少の差はあれど、皆様の音楽体験の一部にはなっているのでしょう。僕の考えですが、その時に習った知識を一字一句丸々と未だに覚えている必要は無いと思います。あくまでも重要な部分は音楽の鑑賞体験そのものでしょう。基本的に「そういう音楽を聴いたことがある」だけでよいと思いますし、もしもそれが無視できないくらいに強く印象に残ったならばその音楽に付随する情報も自ら集めたり自然と覚えたりするものです。
僕自身も音楽史や作品のあれこれを覚えようとして覚えたわけではありません。単純に興味があって何度も聴いたり情報を見たりしているうちに、いつの間にか「知っていること」としてインプットされただけの話です。ですから逆に興味の薄い分野は未だに資料を開いて確認しないと迂闊に喋れない程度には記憶が定かではありません。ショパンのエチュードは自分が弾いたことがある曲以外は何番がどの曲なのかが未だに一致しないことを白状します。
…という話題を挙げましたのは、Xで「作曲家・時代・出身国・主な作品を覚えさせる課題が高校で出た」という話が流れてきたからです。恐らく教科書ではなく副教材のドリルの類いであろうと推察します。高校の音楽の教科書には鑑賞教材も豊富に載っていますし、巻末には音楽史年表も載っていますから、確かにその暗記リストを埋めるための情報を調べることは可能でしょう。
記憶するというところまでいかなくても、情報として知っていることが自身の鑑賞を助けることもありますから、件の暗記課題自体を非難するつもりは僕にはありません。知識情報は活用できるものです。
実際にどのような授業をしているかを僕は知りませんが、件のバロックから現代(と言いつつ社会主義リアリズムばかり)の作曲家や作品が載った一覧を覚えることを課すのであれば、そこに載っている全ての曲を抜粋でよいので一度聴くことが重要であると思います。今やYouTubeなどで曲をいくらでも自発的に聴くことができるでしょうが、放っておけば生徒も勝手に聴くだろうと丸投げしてしまうのではなく、あくまでも指導者の元でガイド付きで鑑賞活動を行うことが必要です。
情報の暗記は気が進まないものですが、実際の音楽を聴いて「これは面白いかもしれない」と感じたならば、そこに付随する情報も音楽と共に記憶に入ってくるものです。あるいは作曲家一人一人ではなく時代ごとの音楽様式に興味を持つこともあり得るでしょう。これらの認識は、まずは音楽を聴いてみないことには起き得ないわけです。
最初は虫食い状態で全く構わないでしょう。最初に興味を持ったのはベートーヴェンとショスタコーヴィチだけでした、でよいのです。ポイントだけでも興味を持ってしまえばそこを起点にしていくらでも鑑賞の範囲を拡げることはできます。
音楽に向き合う上で「聴くこと」自体を疎かにしないでほしいということは、この話題に限らず言えることであると思います。演奏家の立場としても、別に作曲家のプロフィールを知ってほしくて演奏しているのではなく、音楽を聴いてほしいから演奏しているのであります。知識を問わなければ評価材料としての客観的な点数が出てこないという現場の事情もあるのでしょうが、音楽家側が願っているのはそこではないでしょう。
この話題が高校から出たものであったことから、巷の一般クラシック音楽ファンからも疑問の声が上がったわけでしたが、これがもしも音楽大学1年生に向けて出された課題であったならば全く話題にはならなかったでしょう。もしも西洋音楽で音大に入った者ならば、もれなく件のリストにあった情報は全て当然に知っていなければならないと断言して差し支えないでしょう。西洋音楽史を流れとして学ぶ機会は入学後にもありますが、流れに対する点としての情報を色々知っておくことは後で役に立つでしょうし、学位をいただくならばそれは知っているはずの知識です。
それどころか音大で学ぶ音楽史の知識ともなると、件のリストに載っている内容だけでは不足とまで言えるでしょう。この作曲家・作品が載っていないというポイントを細々と指摘することもできますが、かの一覧表にはバロック後期から後、前衛音楽・実験音楽を除外した現代(ほぼ社会主義リアリズム)までしか載っていないのです。最も狭義のクラシック音楽の範囲と言えるかもしれませんが、それでも第二次大戦以前の音楽すら大きく削られているというのはそろそろ考え直した方がよいと思うところであります。
これに関しては最近の高校の音楽の教科書は偉いものでして、中世の音楽もルネサンスの音楽も、前衛音楽も実験音楽もきちんとページを与えられて解説されています。取り扱われる機会が少ないというだけで、教材はきちんと備わっているということです。手元に教科書がある方は、その教科書を読みながら色々鑑賞してみるだけでも新たな発見があると思います。ここでも「聴く」ということを忘れずに実践していただきたいですね。
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